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昨シーズンは、初のホームラン王、シーズンMVPに輝いたほか、野球がオリンピック正式競技となって日本初となる金メダル獲得に大きく貢献するなど、今や球界を代表するスター選手となった東京ヤクルトスワローズ・村上宗隆選手。高校時代に熊本地震を経験して芽生えた「熊本のために何かしたい」との思いから、今も復興支援活動を続けている。今月末に開幕するシーズンにかける意気込みと、熊本に寄せる気持ちを伺った。
ー野球を始められたのはいつ頃ですか?
物心がついた時からボールを握っていました。キャッチボールを始めたのは4歳頃、兄がクラブチームで野球をしていたので、その影響です。自分も小学校1年生から同じチームに入部して、本格的に野球を始めました。中学に上がるまでは、体も特別大きい方ではありませんでした。
ー意外ですね。中学からはさらに技術を磨くために硬式野球を始められたそうですが、中・高時代の思い出などあれば教えてください。
熊本東リトルシニアというチームに所属していたのですが、当時、練習で使っていたグラウンドの右翼が約80メートルと少し狭く、何度となくフェンスを越して近隣の民家や小屋にボールが当たってしまって…。それでも一度も叱られたことはなく、本当に皆さんに温かく見守っていただきました。ただ、「監督からは引っ張らずにレフト方向に打ちなさい」と言われるようなりました。そこから、「逆方向に強い打球を打つ」という意識が芽生え、今の打撃にもつながっています。
ー中学時代の活躍もあって県外の高校からも誘いがあったそうですね。
そんなに多くはありませんでしたが、誘っていただきました。でも、自分が一番成長できる場所、環境が整っている高校を考えたとき、やっぱり地元・熊本にある九州学院高校が一番だと思い、進学を決意しました。
ー九州学院高校では1年生から4番を任され、初めての夏の大会第1打席で満塁ホームラン。その後も活躍して、高校通算ホームランは52本。素晴らしい成績を残しましたね。
高校時代はどちらかといえば「悔しい」思い出の方が多いです。1年の夏こそ甲子園に行きましたが、その後は2年の時も、3年の時も夏の県大会の決勝で負けてしまって。あと一歩のところで甲子園を逃してしまいました。でも、周りにすごい選手、ライバルがたくさんいました。だからこそ、さらに上を目指し、成長することができました。今となってはいい経験をさせてもらったと思っています。
ー2017年のドラフト会議で東京ヤクルトスワローズから1位指名。入団4年目の昨シーズンは、ペナントレース、日本シリーズに大活躍をされて20年ぶりの日本一に貢献。本塁打王やMVPなど、華々しいタイトルも獲得されました。
個人の成績で言えば、まだまだ満足していませんし、もっと良い成績が残せたはず。今シーズンは全てのレベルをひと段階上げて、最低でも3割40本100打点を目指し、獲れるタイトルは全て獲得するつもりでいきます。
ー県出身選手でMVPを獲得したのは、「野球の神様」と言われる川上哲治さん、平成唯一の三冠王・松中信彦さん以来、三人目。偉大な先輩たちと肩を並べました。目指すは「令和初の三冠王」ですね。
すごく光栄ではありますが、MVPを獲っただけで肩を並べたとは思いませんし、三冠王なんて軽々しく言えません。とにかく練習をしっかりと重ねて、もっと良い成績を残していく。その結果、チームの2連覇につながれば嬉しいです。
ーあと、昨年を振り返る上で忘れてはならないのが、オリンピックの金メダル。決勝で放ったホームランは格別だったのではないですか?
まさか自分が決勝の舞台でホームランを打てるなんて思ってもいませんでした。シーズン中のホームランだと、「あ、入ったな」という感じなんですけど、オリンピックは「本当に僕が打ったのかな」という不思議な感覚がありました。
ープロ入りから5年。故郷を離れてみて気付いた熊本の魅力はありますか?
やはり自然が豊かで、水がおいしい。だから熊本の食べ物はなんでもおいしいと思います。オフシーズンに熊本に帰ってくるのが楽しみです。
ー今年のオフシーズンはどのように過ごしましたか。
家族と自宅でゆっくり過ごすことができました。犬を飼っているのですが、本当にかわいいんです。触れ合っている時が僕にとって最高の癒し時間です(笑)
ー村上選手は入団2年目の2019年からホームラン、打点に応じて熊本城への寄付活動も続けられています。その思いを聞かせてください。
僕が高校生の時に熊本地震が起きて、野球ができない苦しさや学校の友達に会えない寂しさなどを味わい、辛い時期を過ごしました。でも、多くの熊本の方に支えていただき、今の自分があります。だから「熊本のために何かしたい」という思いが強く、本当に微力ではありますが、熊本のシンボルである熊本城の復興支援を続けさせてもらっています。そして僕自身の思いとしては、熊本に帰ってきて野球がしたいです。まだ一度もスワローズのユニフォームに袖を通して、熊本で野球をする機会がないので、いつかプレーする姿を多くの県民の皆さんに見ていただきたいですね。僕はまだ5年目ですし、昨年末に受賞させていただいた「くまもと夢づくり賞」をモチベーションに、これからも頑張ります。
ー村上選手の昨年の活躍に県民は大変元気づけられました。県内でも、サッカーJ3リーグでのロアッソ熊本の優勝や、第100回全国高校サッカー選手権での大津高校の準優勝、春の高校バレーでの鎮西高校準優勝、第29回全国中学校駅伝女子の部での山鹿中学校準優勝など、スポーツ界が大いに盛り上がっています。復興や感染対策に取り組む県民や、スポーツに励む子どもたちに一言、お願いします。
自然災害や新型コロナの感染拡大などで大変な状況が続いていますが、これからも多くの県民の皆さんに夢や勇気を与えられるよう、一生懸命プレーしていきます。子どもたちへは、とにかくその競技を好きだという気持ちを忘れずに、しっかり目標と勇気をもって、何事にもチャレンジしてほしいですね。
プロフィール
2000年熊本市生まれ。九州学院で高校通算52本塁打を放ち、2017年、ドラフト1位指名を受け東京ヤクルトスワローズへ入団。プロ1年目の9月に一軍に昇格し、初打席で初本塁打を放つ。19年5月にはプロ入り初の4番に座り、36本塁打、96打点を記録して新人王に。2021年、21歳7ヶ月でプロ野球史上最年少となる通算100本塁打を達成。2021年12月には熊本県民に大きな夢と希望を与えた功績から、「くまもと夢づくり賞」を熊本県から受賞。