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「気になる!くまもと」Vol.996

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0108629 更新日:2021年9月2日更新

個々のペースで玉名を巡る“マラニック”
今に生きる金栗スピリッツを体感しよう

玉名市役所企画経営課の徳永慎二さんの写真

玉名の風景の写真

コロナ禍で人と会うことさえ憚(はばか)られる今。気軽に心と身体をほぐせるアクティビティを求めている人も少なくないはず。そんな折、新たに誕生した玉名の“マラニック”というキーワードが目に留まった。マラニックとは「マラソン」と「ピクニック」を合わせた造語で、全国的にも徐々に注目されている取り組みのひとつだ。今回玉名で新設されたマラニックのコースは、2019年の大河ドラマのモデルとなった“マラソンの父”金栗四三(かなくりしそう)にゆかりのあるスポットが軸となる。玉名でしか出合えない金栗スピリッツの神髄を知るために「金栗四三マラニック」の仕掛け人・玉名市役所の徳永慎二(とくながしんじ)さんの元を訪ねた。

失敗を糧に、学びを深め
人生を切り拓いた金栗四三(かなくりしそう)

「金栗先生は、失敗を糧に人生を成功に変えた人です。失敗からいかに学びを深めるか。その生き様には、現代に生きる私たちにおいても、たくさんの学びがあります。その精神を、地元や全国に向けてしっかりと継承していきたいですね」と語るのは、玉名市役所企画経営課で金栗四三PR推進専門官を務める徳永慎二さん。2019年の大河ドラマ「いだてん」の放映をきっかけに、改めて地域の財産である金栗四三の功績を地元や全国の人々に伝えたい、と思い立ったそんな中で出合った“マラニック”が謳うコンセプトは、徳永さんがこれまで感じていた金栗スピリッツを体現しているものだった。ゆかりの地を巡るマラニックのコースは、ランナーでマラソン解説者である金哲彦(きん てつひこ)さん監修の元、金栗四三の足跡をたどる「住家を訪ねるコース」と「街めぐりコース」の2種類。「走っても、歩いてもいい。それぞれのペースで楽しもう、というマラニックのコンセプトは、金栗先生の精神性とピタリと重なりました。そんな金栗スピリッツを伝えていきたいと思っています」。

パンフレットの写真

「金栗四三マラニック」は、全長9.5kmの「住家を訪ねるコース」と全長11.4kmの「街めぐりコース」の2コース。監修は、自身も箱根駅伝を4度制した記録を持つ金哲彦(きんてつひこ)さん。

玉名市役所の写真

玉名にある金栗四三の住家と、目と鼻の先の距離で生まれ育ち、生前の金栗四三と過ごした経験を持つ徳永さん。今では金栗研究の第一人者として講演をすることもあるのだとか。

日本人初のマラソンランナーとして、33歳で現役を退くまで、オリンピックに3度出場した経歴を持つ金栗四三。優れたランナーでありながら、実はメダル獲得には至っていない。では、なぜ“マラソン界の父”と称されるほど、今なお多くのマラソンファンに一目置かれる存在として慕われ続けているのだろうか。その足跡とともに振り返っていく。

金栗四三資料館の写真

マラニックの「住家を訪ねるコース」のひとつ、「金栗四三翁 住家・資料館」。スタート地点の新玉名駅から4.4kmの距離にある。常駐のガイドさんのエピソードトークも必聴だ。

金栗四三が晩年を過ごした住家の写真

金栗四三が帰熊し、晩年を過ごした住家の内部。館内には、晩年の金栗四三の人生観を示す展示物が並ぶ。穏やかな里山の風景とともに、ゆるやかな時間を体感してほしい。

メダルへの期待とは裏腹に
困難に見舞われた競技人生

金栗四三が誕生したのは、1891年、玉名郡春富村(現和水町)。玉名北高等小学校に進学すると、毎日往復12kmの道のりの通学が始まる。その軽快な足取りは、“かけあし登校”と呼ばれ、この経験が後のマラソン人生の礎となったという。当時の金栗少年は、誰に教わるともなく、長距離走に適した呼吸法を実践していたという。その後、現筑波大学進学後、20歳になった金栗青年は、1912年にスウェーデンで開催された第5回ストックホルムオリンピックに出場。生涯師と仰いだ嘉納治五郎(かのうじごろう)と臨んだものの、異国の地の酷暑に見舞われ、金栗は27キロ地点で棄権を余儀なくされた。その結果に批判の目を向けた日本の大会関係者は、“棄権”の届け出さえも提出しないままだったという。1916年の第6回ベルリン大会を志すも、第一次世界大戦下で中止。続く第7回のアントワープ大会では足の故障によりメダル獲得には及ばず、33歳で迎えた第8回のパリ大会では、32km地点で意識を失い、棄権。これを機に金栗四三は現役引退を表明した。

金栗四三の写真

マラニックの各スポットの詳細は、金栗四三マラニックのマップや玉名市役所のホームページにて。増田明美さんによるナレーションの解説動画がアップされている。

競技としてのマラソンの普及に奔走
止まることを知らない金栗スピリッツ

「さまざまな困難に見舞われ、不遇の競技人生を終えた金栗四三ですが、引退後に見せた意欲的な活動にこそ、目を向けてほしいと思います」と徳永さん。まずは、競技としてのマラソンを普及させるために、大学対抗の箱根駅伝を実現。その後も女性や障がい者など、あらゆる立場の人が自らの能力を競い合える舞台を設け、現在におけるパラリンピックの原型とも呼べる企画を実施した。「スポーツの祭典がない時代に、人と人をつなぎ、人とスポーツをつなぐ活動に尽力した金栗先生の、現役引退後の奮闘ぶりは、不遇の競技人生を送った先生だからこそ。ランナーとしてのストイックさと、すぐれた発想を形にする大胆な行動力は、マラソンで培った金栗スピリッツそのものですね」。

金栗四三が大切にしていた「精神一到何事不成」の書の写真

金栗四三が大切にしていた「精神一到何事不成」の書。精神を集中して物事に当たれば、どんな難しい事柄もできないことはない、という意味。金栗四三の深い精神性を示す言葉だ。

55歳で帰熊した金栗四三は、地元の人々にも積極的に走る楽しみを伝え続けた。「雨の日も、吹雪の日も、シャンと背筋を伸ばして往復4kmの散歩を続ける背中を見て来ました。“どうして歩き続けるの?“と尋ねたら、“人間は脚力が基本でしょう?”と。そう言って散歩に出かける背中が、幼い自分には特に印象的でしたね」。競技としてのマラソンの普及に尽力し、走ることの楽しみを伝える活動に寄与し続けた金栗四三。失敗も糧にして、人生を切り拓き、走ることを通じて、人々に生きる喜びを伝え続けた人生哲学こそ、今の私たちに必要な学びを与えてくれているのではないか。金栗四三マラニックを巡り、自然の中に身を置けば、そんな想いが浮かび上がる。「私たちのすぐそばに金栗四三の精神は、今も息づいていて、熊本に暮らす私たちは、いつでもそれを感じることができます。地域に暮らす喜びをさまざまな方に感じてほしいので、今後も趣向を凝らしたマラニックのコースを展開していきたいですね」。

晩年の金栗四三の写真

地元の学生たちとともに写るのは、晩年の金栗四三。「体力 氣力 努力」を座右の銘として自己研鑽を積む一方で、屈託のない笑顔が柔らかな人柄が滲む1枚。

【Data】
金栗四三翁 住家・資料館
所 熊本県玉名市上小田600
Tel 0968-73-2222
営業時間 9時00分~16時00分
定休日 水曜(祝日の場合は翌日)

金栗四三翁 住家・資料館の写真