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「気になる!くまもと」Vol.994

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0105019 更新日:2021年8月5日更新

日本遺産認定から1年。「石工の郷・八代」が紡ぐストーリー

めがね橋の写真

八代市職員村田さんの写真

 川面に美しいアーチを描くめがね橋、ショウガ棚田の石垣、堅牢な干拓樋門。八代という地域に今も息づく、石造りのレガシー(遺産)。「石工たちは、八代の発展と人々の生活基盤づくりに長きにわたって貢献するなかで、己の技を磨き上げ、名もなき石工から名石工へと成長していきました」。― ひとりの職員が紡いだストーリーの一節が、澄んだ夏の空に溶け出していく。

今も息づく石造りの文化を
新しい「物語」として紡いだ。

 「庁舎で日本遺産認定の知らせを聞いたときは、正直安堵(あんど)のほうが大きくて。『これから頑張ります』くらいの反応をするのがやっとでした。でも家に帰ったら、めちゃくちゃ泣いちゃいましたね」。八代市経済文化交流部、文化振興課文化財係の村田仁志(むらたひとし)さんは、令和2年6月19日のことをこう振り返ってくれた。「八代を創造(たがや)した石工たちの軌跡 〜石工の郷(さと)に息づく石造りのレガシー〜」。これが、昨年「日本遺産」に認定された八代市の“ストーリー”のタイトルだ。

龍峯山の展望所からの風景の写真
八代平野や八代海が一望できる龍峯山(りゅうほうざん)の展望所。
写真は5合目広場からの景観。八代平野の3分の2は、干拓によって生まれた土地だ。

 日本遺産とは、地域の歴史的魅力や特色を通じ、日本の文化や伝統を語るストーリーを国が認定する仕組みのこと。もともとは東京オリンピック開催までに全国で100のストーリー認定を目指し、平成27年度から認定が始まった。最終的に104のストーリーが誕生したが、八代市の認定はなんと104番目。つまりラストを締めくくる日本遺産認定となった。

 「きっかけは、平成28年12月に八代妙見祭(みょうけんさい)がユネスコ無形文化遺産に登録されたことでした。そこで、世界に認められるようなお祭りが自分たちの町にあると改めて気づいた人が多かった。それから、他にもたくさんある地元の魅力をもっと発信したいという思いが、市民から湧きあがってきたことが大きかったと思います」。行政と民間のどちらかが主導するという考え方ではなく、日本遺産認定を目指すことで共に手をとり、地域のブランド化・アイデンティティの再確認を目指した。その立役者となったのは、市外出身で、いわゆる“よそ者(もん)”の村田さんだった。

東陽石匠館の写真

石匠館館長と村田さんの写真
「東陽石匠館」(八代市東陽町)の上塚館長と作戦会議中。八代の石工の歴史や
全国の石橋の資料を多数展示する石匠館は、「石工の郷」めぐりのスタート地点にもってこい。

「軸は、石工のストーリー」。
最後のチャンスにかけた思い。

 「八代の人たちに『八代のいいところって何?』って聞いても、皆さん口々に『うち(八代)は、何にもなかよ』って言われるんですよね。でも市外から八代にきた“よそ者”の自分から言わせると、八代ってほんと魅力だらけなんですよ。山あり、海あり、エリアごとの文化も多様で。学芸員として入庁して、1年目からこのプロジェクトに取り組むことになったんですが、ぶっちゃけこんなに大変だとは思いませんでした(笑)」。

 県内では人吉球磨、菊池川流域に次いで3番目の認定となったが、もちろん最初からすんなり進んだわけではない。1度目の挑戦では最終選考まで残ったものの、「ストーリーの面白さ」と「将来のビジョン」の詰めを指摘され、落選。2度目(募集最終年度)の挑戦での認定となった。「これまで準備してきたものは無駄にならない」と自分に言い聞かせてきたものの、やはり相当のプレッシャーを抱えていた。

 八代市文化基本構想の冊子の写真
平成28年〜30年度にかけて策定した「八代市歴史文化基本構想」。従来の「文化財」の概念に捉われず、地域全体を歴史文化の観点から捉え直していった。これがすべての始まり。

 「世界遺産との違いについてですが、世界遺産は、基本的には価値ある遺産を“保護”するもの。一方日本遺産は“生かし”て“伝える”のが目的。地域の文化財を、地域の方たちの誇りにつなげていくという点に重きを置いています」。認定にはいくつかの審査基準があるが、「その場所に行ってみたくなる魅力的なストーリー」と「町づくりに生かしていく計画・ビジョン」の2つが大きな鍵となっている。つまり、地域のあちこちにちらばっている宝物を再編集し、物語として浮かび上がらせる必要があった。村田さん自身、文化財一つひとつの価値はわかるものの、最初のうちはすべてが「点」の情報にすぎず、「ストーリーを紡ぐ」作業に最も苦心したという。

白髪山の写真

白髪山(しらがやま)とよばれる山の中央下部分に、アーチ橋状の形をした岩盤が見える (写真中央の住宅上)。
かつて石工たちがこの岩盤を眺めて、アーチ橋のヒントを得たという言い伝えも。

 ひねり灯篭の写真
ねじれたように彫刻されたひねり灯籠(菅原神社)。寛永7年、石工の文八によるもの。(写真手前の灯篭)

 特に八代市は九州初となる「地域型」といわれる単独の市町村での認定を目指したことで、まず、地域で親しまれてきた有形・無形の文化遺産を洗い出し、「八代市歴史文化基本構想」をまとめあげる必要があった。足かけ2年半かけて市内各地を周り、地域の人たちと対話を重ね、約200ページに及ぶ研究資料を完成させた村田さん。点在する遺産を「面」として活用・発信していくために、それらをつなぐピースは何か。何冊も、何冊も、そのストーリーの素案をノートに書き続けてきた。

 八代市職員の米崎さんの写真
日本遺産の担当に村田さんを抜てきした、同課の米崎寿一(よねざきとしかず)さん。
自身も学芸員で、地元愛あふれる歴史文化のスペシャリスト!

 八代城の石垣、干拓樋門、石積みの棚田、めがね橋…石造り建造物の数々は、八代の美しい自然のなかに現存している。これらを築いたのは、卓越した技術で丈夫な建造物をつくり続けた石工たちだ。今はもうこの地に石工はいない。だが、彼らがもたらした豊かさや恵みは、いまも脈々と息づいている。「軸は、石工だ」。村田さんは次第にそう確信していく。さまざまな課題や今後の展望の検証を経て編んだストーリーは、これまで歴史の表舞台に立たなかった「石工」にスポットを当てたものだった。

鹿路橋の写真
河俣川の最も上流に架かる鹿路橋(ろくろばし)。
長さ20.3メートル、幅2.7メートル、怪間13.6メートルの大規模なめがね橋。

まずは地元の人に愛着と誇りを
もってもらう取り組みにしたい。

 現在八代市内には、江戸〜昭和初期にかけて建造された46基のめがね橋が現存。これは県内最多の数を誇り、全国で築かれためがね橋の4分の1にのぼる。この架橋技術は、多くの石工たちが生活した山間部の種山地域(現東陽町)を中心に、八代各地で脈々と受け継がれてきたものだ。山間部を車で走ると、今も生活道路として利用されているものが多いことに驚く。それらは決して華美ではないが、美しい里山の風景によくなじんでいる。八代のめがね橋の特徴といわれる、実用性を重視し、できる限り費用を抑えた丈夫な石橋を架け続けた石工たちは、やがて日本最高峰の技術者集団へと成長。東京の「神田筋違橋(萬世橋)」をはじめ、矢部村(現山都町)の「通潤橋」など活躍の場を全国に広げ、近代化の足元を支えることになるのだ。

 美生地区の石垣の写真
美生地区では、米の栽培ではなくショウガの栽培が行われる。石垣の造成に種山の石工たちが関わったという言い伝えがある。

 さらにもう1点。石工たちの大きな功績としてたたえられるのが「干拓」だ。現在は県有数の農業地として知られる八代平野も、かつては「お国一の貧地」と呼ばれるほど平野地が狭く、農業に向かない地域だった。そのため江戸時代から昭和初期にかけて大規模な干拓事業が幾度となく行われ、石工たちも石材の切り出し、運搬、加工の担い手などに積極的に携わってきたという歴史がある。「この干拓によってもたらされた平野が、今の八代の豊かさや発展にしっかりつながっているということをアピールしたかったんです。海外の方や、県外の方ではなく、まずは八代市民の方々にこの背景を知ってほしい。その思いでこのストーリーを書きました。あの時『うちの地元には何もないよ』って言われて、やっぱり悔しかったんですよ。こんなにいい宝が眠ってるのにって。その悔しさを、エネルギーにした感じですよね。地域の人がこういった歴史文化を誇りに思うことで、自ら魅力を発信していってもらえるようになればと」。

 八代市職員村田さんの写真

大鞘樋門群の写真
文政2年の四百町新地干拓事業の際に建造された「大鞘樋門群(おざやひもんぐん)」。

 現在の主な取り組みを尋ねると、「認定と同時にコロナ禍に突入、そして水害が起こりました。私も避難所に入って対応に追われるなど、正直、当初予定していた取り組みはほとんど実施できていません」と悔しさをにじませる。それでも、この状況を悲観してはいない。市民向けのパンフレットを作成したり、細やかなブランディング戦略を練ったりと、まずは地元の人々にこのストーリーに愛着や誇りを持ってもらうことを目指している。

 遠い昔、石工たちが一つひとつ石を積み上げて橋をつくったように、そこに手間はかかろうとも、村田さんも人と地域の間に橋をかけ続ける。共に、思いを積み上げていけることを信じている。

お祭りでんでん館の写真
7月末にオープンしたばかりの「お祭りでんでん館」。八代妙見祭や民俗芸能の保存継承、交流促進を目指した情報発信拠点。日本遺産に関する情報発信コンテンツも。

八代城跡の写真
麦島城の石垣を転用した石材や、八代産の石灰岩を使って築いた特徴がみられる八代城跡。

国指定名勝の水島の写真
国指定名勝の水島。石灰岩を採掘した際にできた矢穴が残された石灰岩を見ることができる。