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2020年7月4日。明け方から鳴り止まぬ警報音。その時、街の中心部に位置する老舗旅館「あゆの里」には100名近い宿泊客がいた。そして「球磨川くだり」では、赤字続きの経営体制から抜本的な改革を図り、ようやく回復の兆しが見えてきた矢先、豪雨によって、全てが押し流された。あれから1年。かつてないほどの難局を乗り越えた人々の表情は、どこまでも晴れやかだった。
令和2年7月豪雨からやがて1年を迎えようとする初夏の日、「球磨川くだり」は、「HASSENBA」として生まれ変わった。かつての建物の躯体を生かしつつ、地域観光の拠点となる場所を目指したこの施設は、まさに“復興のシンボル”と呼ぶにふさわしい空間だ。竣工式や内覧会などの3日間で訪れた関係者は約300人。「コロナ禍で予約制の竣工式でしたが、人吉の旅館組合や商工会議所など、ありとあらゆる団体を招待させていただきました。中でも地元企業の代表者の方が、“社員にも見せたいから”と多数の社員を連れて出向いてくださったんです。私たちは地域貢献を軸に復興計画を進めてきたので、そんな風に地域の方に喜んでもらえたことが嬉しかったですね」。そう語るのは、「HASSENBA」の代表を務める瀬崎公介(せざきこうすけ)さんだ。
2020年7月4日。瀬崎さんはその日、出張先の大阪にいた。明け方、大雨特別警報が発令された人吉の地で何が起ころうとしているのか、最悪の事態をシミュレーションしながら朝を迎えた。経営者として「常に最悪の事態を想定して行動すること」の大切さを日々意識していたが、水害で何もかも失ってしまった当時の惨状には、「再建不能」の文字が脳裏をよぎったという。「船も車も全て流され、会社として残されたのは借金だけという状況。元々債務超過の経営状況を立て直して欲しいと打診を受けて、2019年に代表に就任した会社です。豪雨被害は、決死の覚悟でV字回復を遂げてきた矢先の出来事。正直、もうダメかもしれないと思う瞬間はありました」。
元々の建物を生かしながら、各分野のプロたちが持ち寄った多角的な視点で、新しい命が吹き込まれた「HASSENBA」。人吉らしさを一層磨きあげ、復興のシンボルとなってくれるだろう。
「昨年4月の、人吉城址から眺めた川下りと桜の風景。綺麗でしょう」と嬉しそうにスマホを取り出す瀬崎さん。人吉の四季を間近で感じられる「HASSENBA」の立地は、再建の鍵となった。
そんな失意のどん底から瀬崎さんを奮い立たせたのは、これまでの経験と地域への思いだった。「たとえば球磨川くだりがなくなったとしても、街に与える経済的損失はある程度限定的ですが、地域の元気を支える旅館の女将さんにとって、地元観光のシンボルを失うことでの精神的なダメージはとてつもなく大きく、再建はうちだけの問題では無い。だからこそ再建計画を立案するにあたり、人吉の観光をイチから見直すことから始めました」。そう語る瀬崎さんは、上天草で家業であるクルージング事業を営む傍ら、上天草観光活性化施設「ミオ・カミーノ」の運営をはじめとする街づくり事業にも尽力してきた経験をもつ。そこで培った経験と、これまで国内外のさまざまな観光地を訪れてきた経験も、地域の可能性を信じる大きな力になっている。
春は人吉城址の桜、夏は花火、秋には紅葉、冬は澄んだ空気が立ち込める、球磨川を望む2階のテラスは絶景の眺めだ。
「改めて人吉の観光を見直した時に、観光列車や温泉、ラフティングという資源はありながら、若い世代が足を運びたくなる拠点がないと感じました。人吉の観光をこれまで以上に盛り上げるためには、何が必要なのか?これまでの経験と照らし合わせながら、ヒントを見出していきました。そうした中で道筋が自然と浮かび上がってきましたが、これまで多くの場所を見てきた経験が人吉の可能性を信じるきっかけになったのは確かです」。観光客だけでなく、ビジネスで訪れた人も地域の人も、誰もが楽しめる場を作ることを念頭に、人吉の中にあるどんな小さな可能性も見逃さない姿勢で場づくりに臨んだ。「再建するなら1年以内という条件付きでした。理由は、単純に手元の資金と経済状況を鑑みたときに、それ以上期間が延びると経営が立ち行かなくなる計算だったからです」と笑顔で語ってくれた。浸水被害の片付けが済んだ直後の8月初めには、再建チームを立ち上げた。そこからは、人と人、人とモノが生み出す相乗効果をいかに高めていくか、場づくりのための仕掛けづくりに奔走する日々が続いた。
HASSENBA内にある「九州パンケーキCafe」では、パンケーキなどの軽食から旬のフルーツを使ったクレープなどのスイーツまでがそろう。フリーWiFiを完備した球磨川沿いのテラス席はビジネス利用もオススメ。
2階は、球磨川の絶景を望むバーにリノベーション。施設内には水戸岡鋭治(みとおかえいじ)さんがインテリアデザインを手がける贅沢な会議室に加え、パーティーに最適な2つのテラスも完備。
建物の1階に構えるコンセプトショップ「Hito-Kuma」では、人吉エリアの選りすぐりのアイテムが並ぶと同時に、天草大王をはじめとした普段人吉ではなかなか出合えない食も揃う。そうした生産者たちとコラボした「HASSENBA」のオリジナルブランドを発信していく計画も進行中だ。また建物の2階には、空間からインテリア・家具まですべてデザイナーの水戸岡鋭治さんがデザイン・監修した会議室や、貸切パーティーに最適な2つのテラスを持つバーもお目見え。「HASSENBA」の名前になぞらえた“発見・発信・発展”という3つの“発”を、見事に昇華した見どころ万歳のラインナップだ。「新しい可能性を見いだしてこそ復興です。再建は一人では叶わなかったことばかり。再建チームの仲間にも、地域の方々にも、私を信じてついてきてくれる若いスタッフたちにも感謝ですね」。この場所を起点に地域に張り巡らされた無数の「縁」という見えない糸は、これから数え切れないほどの出会いを呼び込んでいくに違いない。
【Data】
球磨川くだり株式会社HASSENBA HITOYOSHI KUMAGAWA
所 人吉市下新町333-1
Tel 0966-22-5555
営業時間 9時00分~17時00分
定休日 水曜日
「宿泊されていたお客さま100名の命をお守りし、皆さんの無事を見届けた瞬間から、私たちの復興は始まっていました」と、静かに当時の様子を振り返るのは、老舗旅館「あゆの里」の女将・有村政代(ありむらまさよ)さんだ。球磨川沿いに建つ同館も壊滅的な被害を受けた。前日の夜、少し雨は降っていたものの、球磨川はいつもと変わらず穏やかだったという。その日の業務を終えた有村さんが旅館に駆けつけたのは早朝4時。大急ぎでスタッフを集め、対策を練った。「ホテルの外へ避難する」と言う宿泊客を説得し、全員個室で待機するよう促し終えたのが午前7時。その直後、氾濫した球磨川の水が津波のような勢いで窓ガラスを破り、1階のフロアに一気に流れ込んだ。まさに間一髪だった。その直後から停電し、不安が広がる中、せめて心が安らぐようにと、部屋ごとに担当者を付けた。食事は、非常用に備えていたガスを使って温かい料理を作り、9階まである客室1部屋ごとに階段で運んで提供した。ようやく水が引いた翌日、熊本市内からチャーターしたバスで、宿泊客全員を見送った。「お見送りの時、皆様から温かいお言葉を頂いただけでなく、部屋ごとにお客さまからのお手紙やお心遣いが置かれていて、それを見た時は、本当に胸が熱くなりました」と有村さんは目を細める。
人吉市内の中心部に位置する「あゆの里」。建物に流れ込んだ濁流は、瞬く間に1階の天井まで達した。
天井まで浸水した1階部分は、8月末の営業再開に向けて、急ピッチで作業が進んでいた(2021年6月取材)。
写真は水害以前のエントランスの風景。「湧き出る温泉の量も泉質も変わらず、ホッとしています」と有村さん。旅館の営業再開に伴い、名物の足湯も復活する。(写真:「あゆの里」提供)
そこからは復興に向けて、無我夢中で駆け抜ける日々の連続。昨日まで宿泊客を出迎えていた1階のフロアは、大人が膝下まで埋もれるほど大量の泥に覆われていた。泥をかき出す作業だけでも2カ月を要したという。「ほとんどゼロからスタートするようなものでした」と語る有村さんだが、旅館を閉めるという選択肢が頭をよぎることは一度もなかったという。その原動力となったのは、何だったのか。「被災時にご宿泊されていたお客さまを一人残らず見送った社員の頑張りや、不安な思いをさせたにもかかわらず“また来るね”と書き残してくれたお客さまからのお手紙、お付き合いのあった方々が復旧のお手伝いに続々と訪れてくれたこと、全国から届く支援物資やメッセージにも大きな力を頂きました」。
有村さんが座っている椅子の生地は、あゆの里オリジナル。「お客さまとの思い出を紡いでくれた大切な家具も元通りにするのが今の目標です」と再開に向けた意気込みを語ってくれた。
有村さんが会長を務める「さくら会」について話を振ると、途端にその表情がほころんだ。「被災後、初めてさくら会のメンバー全員で揃った時はホッとしました。もう25年来の仲間ですから」。「さくら会」とは、1994年に人吉市の温泉旅館の女将さんたちにより結成された会。鍋屋旅館の前女将である富田千鶴子さんから会長を引き継ぎ、2代目として長らくメンバーを牽引している。連日の泥掻き作業に追われる中で、くじけそうになるたびに、励まし合ってきた。さくら会のトレードマークである鮮やかなピンク色の法被(はっぴ)も、有村さんの手元に保管していたものを頼りに復元し、メンバーの士気を高めた。「着物はほとんどダメになってしまったけれど、法被さえ羽織っておけばいつでも活動できるじゃない?」と笑顔で語ってくれた。強い絆で結ばれた「さくら会」が、精神的支柱となっていたことは確かだ。
鮮やかなピンクの法被(はっぴ)は、さくら会のトレードマーク。人吉の元気を創出する、「さくら会」の活動にこれからも注目したい。(写真:「あゆの里」提供)
有村さんは「水害の記録を忘れないように残しておきたい」と、支援金を元に各旅館の復興までの歩みを記録した「人吉温泉女将の会 さくら会復興記念写真集」を製作。「今、さくら会のメンバーで落ち込んでいる人は誰もいないんです。これからの人吉を盛り上げるには、さくら会の活動を充実させることが1番よ」と声を弾ませる。とその時、有村さんの手元の携帯が鳴る。「お客さまが、前回宿泊した時と同じ部屋を取っておいてね、だって」。
球磨川の流れに寄り添う、情趣あふれる街並みは、自然のエネルギーに負けない、パワフルな人々の存在によって、ますます魅力を増していくはずだ。
「さくら会」に寄せられた支援金の一部を使って製作した「人吉温泉女将の会 さくら会復興記念写真集」。人吉の15の旅館の被害状況と復興までの歩みを記録した、思いの詰まった一冊だ。
互いに手を取り合い、今まさに大きな困難を乗り越えようとしている人吉の街。清らかに流れる球磨川を眺めながら、人々の思いが集う、生まれ変わった人吉の街への再訪を心に誓った(写真:「あゆの里」提供)。
【Data】
人吉温泉 清流山水花 あゆの里
所 熊本県人吉市九日町30
Tel0966-22-2171