本文
祝!!「通潤橋」国宝指定
大人から子どもまで 誰もが知る通潤橋が国の宝に!
令和5年(2023年)9月25日(月曜日)に、山都町に所在する「通潤橋」が正式に国宝に指定されました。
「通潤橋」のような土木構造物が国宝に指定されるのは全国初です。
今回、「通潤橋」が指定されたことにより、県内に所在する国宝の件数は青井阿蘇神社(人吉市)と合わせて2件になります。
【指定の概要】
通潤橋 1基
附(つけたり)・御小屋(おこや) 1棟
・石碑(せきひ) 2基(通潤橋・通潤橋建築中勉勤之銘)
・御試吹上樋(おためしふきあげどい) 1所
・関係文書(かんけいもんじょ) 2冊(通潤橋仕法書・南手新井手記録)
※附:建造物等を重要文化財や県指定文化財等に指定する際に、文化財本体に関連する
物品や資料等を本体と併せて文化財指定すること。
ここがすごい!!通潤橋~近世水利土木施設の到達点を示す近世石橋の傑作~
特に以下の7点が評価され、今回の答申につながりました。
ポイント1 | 阿蘇南外輪山南側の丘陵に広がる通潤用水の一部で、嘉永7年(1854年)に建設された石造水路橋! |
ポイント2 | 四方を谷で隔てられ水源に乏しい白糸台地をうるおすために造られた近世最大級の石造アーチ橋! |
ポイント3 | サイホンとアーチを一体化させ、鞘石垣(さやいしがき)や裏築(うらづき)などの技術を駆使して造られた近世石橋の傑作! |
ポイント4 | 近世のかんがい施設として他に類のない、新田開発史上傑出した存在、近世水利土木施設の到達形態の一つ! |
ポイント5 | 企画から完成まで熊本藩領の手永役人(てながやくにん)と当時最高峰の技術力を誇った石工集団が携わり、主に地域社会が社会資本整備をになった近世後期及び末期の代表的事例! |
ポイント6 | 九州における近世後期の石造アーチ橋建設をリードした熊本で試行錯誤の末に生み出された九州石橋文化の象徴! |
ポイント7 |
試行錯誤や鞘石垣などの独創的な技術が生み出された過程を物語る「御試吹上樋」や「関係文書」、建設に従事した人びとの名を記す「石碑」、当時の現場監督小屋であった「御小屋」といった関連資料が多数残る! |
【通潤橋基礎データ】
所在地 熊本県上益城郡山都町城原・長原
建造年 嘉永7年(1854年)
起工:嘉永5年(1852年)12月
竣工:嘉永7年(1854年)8月晦日
規 模
(アーチ橋)
橋長 約78.0m(下流側橋長)
橋高 約21.3m(上流側鞘石垣の下端から石垣上端まで)
幅 約 6.6m(橋中央部)
径間 約26.5m(露出するアーチ輪石間の距離)
※輪石の基部が鞘石垣に隠れているため、正確な径間は不明。
歴史史料による径間は、15間3尺(15間5合、約28.1m)。
(通水管(吹上樋))
延長 約119.0m(通水管中央列延長)
取入口と吹上口の比高差 約 2.2m
【注意事項】
・通潤橋の放水日や時間、橋上見学(有料)については、「通潤橋放水暦2023」をご覧ください。
(https://www.town.kumamoto-yamato.lg.jp/kiji0037479/index.html)
御小屋 | 石碑 (左:通潤橋、右:通潤橋建築中勉勤之銘) |
御試吹上樋 |
| | |
関係文書 (通潤橋仕法書) |
関係文書 (南手新井手記録) |
※写真はすべて山都町教育委員会提供 |