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多良木町・中山観音堂の鰐口の熊本県重要文化財指定の答申について

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0145115 更新日:2022年7月29日更新

多良木町・中山観音堂の鰐口の熊本県重要文化財指定の答申について

 令和4年(2022年)7月29日に開催された熊本県文化財保護審議会において、多良木町に所在する「中山観音堂の鰐口(なかやまかんのんどうのわにぐち)」を県の重要文化財(工芸品)に新たに指定するよう答申が出されました。
 今後、教育委員会での承認、県公報登載をもって正式に県文化財に指定される予定です。
 なお、今回、中山観音堂の鰐口が県の文化財に指定されると、県指定文化財の件数は392件、重要文化財(工芸品)の件数は60件となります。

多良木町・中山観音堂の鰐口

 中山観音堂の鰐口は、球磨川中流域左岸に位置する球磨郡多良木町の中山観音堂に所在します。
 南北朝期の典型的な形態を示し、良好な状態を保つ青銅製の鰐口です。
 装飾的な撞座(つきざ)が特徴的で、中世の九州における鋳物師(いもじ)の活動を考える上で重要な作例と考えられます。
 また、銘文から、応永4年(1397年)に、霧島東神社の別当寺院である錫杖院(しゃくじょういん)(宮崎県西諸県郡高原町)に権律師有澄(ごんのりっしゆうちょう)によって奉納され、その後、弘治4年(1558年)に快賢(かいけん)という人物を願主として大隅正八幡宮(おおすみしょうはちまんぐう)(現在の鹿児島神宮、鹿児島県霧島市隼人町)に奉納されたことが分かります。
 現在地に移動した経緯については不明ですが、熊本県に所在する多くの鰐口と同様に、戦乱の中で移動した可能性があります。

【銘文】
鰐口一口
奉寄進 神宮寺錫杖院 日本最初大波社
応永四年 大歳丁丑 八月一日 願主権律師有澄
(以下追銘)
弘治四年 戊午 三月日 施主各
正八幡宮御寶前 願主快賢

正面 安置状況