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日本遺産とは?
日本遺産とは、地域の活性化を目的に平成27年度から文化庁が取り組んでいるものです。年に1回、文化庁が各都道府県を通じて公募し、観光振興や情報発信、マネジメントの専門家などが委員を務める日本遺産審査委員会が審査し、認定されます。日本が誇るべき隠れた遺産を、世界に向けて発信するきっかけとなることが期待できます。
ユネスコが登録する世界遺産は人類の宝を後世に伝えること、つまり保護を第一の目的としていますが、日本遺産は活用を重視しています。歴史的建造物、食文化、伝統芸能……その地域ならではの文化には、歴史的経緯や地域の風習に根差したストーリーがあります。日本遺産は、そのストーリー性を基礎として、関係する文化財を丸ごとパッケージ化し、まちづくりに役立てることがねらいです。
熊本県では初年度である平成27年度に人吉球磨地方が、平成29年度には菊池川流域が認定されました。
また、令和2年度には八代市のストーリーが認定され、県内の日本遺産は3件となりました。
これまでに全国で104件が認定されました。日本遺産の新規認定は、令和2年度で当面最後となります。
人吉球磨地方の日本遺産
相良700年が生んだ保守と進取の文化 ~日本でもっとも豊かな隠れ里―人吉球磨~
人吉市・錦町・あさぎり町・多良木町・湯前町・水上村・相良村・五木村・山江村・球磨村
あさぎり町「白髪神社」(写真:浜田喜幸氏)
青井阿蘇神社の流れをくむ上村相良氏の氏神社。
人吉球磨では、古くから残る寺社を数多く見ることができる。
- ストーリーの概要
人吉球磨の領主相良氏は、急峻な九州山地に囲まれた地の利を生かして外敵の侵入を拒み、日本史上稀な「相良700年」と称される長きにわたる統治を行った。その中で領主から民衆までが一体となったまちづくりの精神が形成され、社寺や仏像群、神楽等をともに信仰し、楽しみ、守る文化が育まれた。同時に進取の精神をもってしたたかに外来の文化を吸収し、独自の食文化や遊戯、交通網が整えられた。保守と進取、双方の精神から昇華された文化の証が集中して現存している地域は他になく、日本文化の縮図を今に見ることができる地域であり、司馬遼太郎はこの地を「日本でもっとも豊かな隠れ里」と記している。 - 日本遺産人吉球磨<外部リンク>
民衆の手で守り継がれた文化の数々はこちらから。
菊池川流域の日本遺産
米作り、二千年にわたる大地の記憶 ~菊池川流域「今昔『水稲』物語」~
山鹿市・玉名市・菊池市・和水町
山鹿市「八千代座」の天井広告画
(写真:菊池川流域日本遺産協議会)
現存する32枚の下絵を元に復元されたもの。
豊かな穀倉地帯がもたらした、当時の繁栄をうかがわせる。
- ストーリーの概要
菊池川流域には、二千年にわたる米作りによる大地の記憶が残っている。
平地には古代から受け継がれた条里、山間には高地での米作りを可能にした井出(用水路)と棚田、そして海辺には広大な耕作地を生み出した干拓。米作りを支えた先人たちによる土地利用の広がりが、今も姿を留め、その全てをコンパクトに見ることができる。更に賑やかな祭りや豊かな食という無形の文化も息づくなど、菊池川流域は古代から現代までの日本の米作り文化の縮図であり、その文化的景観や米作りがもたらした芸能・食文化に出会える稀有な場所なのである。 - 菊池川流域日本遺産<外部リンク>
探索モデルコースや観光情報はこちらから。
八代市の日本遺産
八代を創造(たがや)した石工たちの軌跡~石工の郷に息づく石造りのレガシー~
八代市
笠松橋(写真:八代市)
・ストーリーの概要
かつて全国で築かれた「めがね橋」を、今も多く見ることができる熊本。その殆どは八代で生まれ育った石工たちによって手掛けられました。彼らの卓越した手腕は日本各地で必要とされ、「神田万世橋」や「通潤橋」などの架設を成功に導き、全国に名声を轟かせるまでに至りました。それ故に、八代は多くの「名石工」を輩出した「石工の郷」と呼ばれています。
石工たちは、八代に広大な平野と豊かな実りをもたらした「干拓事業」や、地域の交通を支えた「めがね橋」の架設などに携わり、八代の発展と人々の生活基盤づくりに長きにわたって貢献する中で、己の技を磨き上げ、名もなき石工から名石工へと成長していったのです。
彼らが築いた堅牢な干拓樋門、川面に美しいアーチを描くめがね橋、見事な棚田の石垣などの石造りのレガシーは百余年たった今も、まちの景観や人々の暮らしの中に生き続けており、訪れる人々を「石工の郷」へと誘ってくれます。
関連サイトの紹介
- 日本遺産ポータルサイト<外部リンク>
日本全国に広がる日本遺産。各自治体が行う日本遺産にかかわるイベント、構成文化財、お土産やグルメ情報などはこちらから。