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茶業研究所・い業研究所・果樹研究所の沿革
(いずれも農事試験場・農業試験場から分離独立しました)
茶業研究所
大正6年 | 農事試験場茶業部として熊本市出水町に発足 |
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昭和8年 | 農事試験場茶業部から茶業研究所として独立し、熊本市健軍町に移転 |
昭和14年 | 農事試験場と合併し、茶業試験地となる。 |
昭和23年 | 農事試験場から再独立し、茶業試験場となる。 |
昭和27年 | 茶業試験場球磨分場を設置し、山茶の研究開始 |
昭和30年 | 球磨分場、球磨茶業指導所に改称 |
昭和44年 | 球磨茶業指導所、球磨農業研究所に合併 |
昭和45年 | 茶業試験場本館(事務棟・実験棟)及び製茶工場を新築整備 |
昭和54年 | 機構改革により栽培部及び製造部を廃止し、栽培製造部並びに応用研究部を設置 県立農業大学校の設置に伴い茶業講習所を廃止 |
平成元年 | 農業試験研究機関の整備統合により農業研究センター茶業研究所として、 現在地(上益城郡御船町)に新築移転 |
い業研究所
昭和24年 | 花筵指導所設置(八代郡千丁村=現八代市千丁町) |
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昭和28年 | い業指導所設置(花筵指導所廃止、場所は同上) |
昭和33年 | 八代農業経営指導所設置(い業指導所、昭和30年に設置された八代園芸指導所、新設の経営は「部」として配置)(八代郡鏡町=現八代市鏡町) |
昭和39年 | 農業試験場八代支場に改称、経営部は廃止 |
平成元年 | 農業研究センターに統合、い業研究所に改称 |
果樹研究所
大正8年 | 県農事試験場で果樹(特用作物)の病害研究、施肥標準調査開始。 |
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昭和7年 | 農事試験場河内柑橘試験地が設置。 実習生や農業技術員養成所の練習生に対して教育開始。 (飽託郡河内村=現在の熊本市河内町、金峰山山麓) 蔬菜試験地内にてキコク台木10aを植栽開始。翌年より試験樹を植栽。 |
昭和9年 | 河内晩柑の原木発見 |
昭和10年 | 河内柑橘試験地で柑橘苗木の養成、配布がはじまる。 |
昭和22年 | 柑橘試験地から熊本県立果樹試験場に改称、農業試験場から独立する(飽託郡河内町=現熊本市河内町) |
昭和23年 | 果樹試験場に果樹園芸講習所併設、果樹試験場天草分場設置(本渡市=現天草市) |
昭和24年 | 菊池分場を菊池郡隈府町(現菊池市)に設置。 |
昭和25年 | 果樹試験場菊池分場(落葉果樹担当)を菊池郡隈府町(現菊池市)に設置、ほか県内各地に指導ほ場や母樹園など多数設置された。 この年に甘夏ミカンが導入。 |
昭和26年 | 県津奈木柑橘指導園を津奈木町に設置 害虫研究所にて害虫関係の試験研究が始まる |
昭和27年 | 県津奈木柑橘指導園、果樹試験場芦北分場に所属替。 |
昭和28年 | 熊本県立果樹試験場から熊本県果樹試験場に名称変更 |
昭和29年 | 果樹試験場玉名分場設置 果樹試験用化学実験室が建設され、果樹の栄養生理、果樹園の土壌・肥料に関する試験研究を開始。 試験場で早生温州(興津・三保)の試作始まる。 熊本大水害(6.26)果樹園にも大きな被害。 |
昭和30年 | 果樹試験場天草分場を天草果樹指導所に改称(昭和39年に天草農業研究指導所に統合) 芦北、玉名の各分場を県果樹指導所と改める。 クリ新品種「丹沢・伊吹・筑波」導入始まる。 |
昭和31年 | 機構拡充により庶務係、研究部の1係1部制になる。 果樹の奨励品種系統を決定。 |
昭和33年 | 普通温州「青島温州」導入、熊本県果樹技術者連盟設立 |
昭和36年 | 県果樹試験場宇土母樹園開設(48年から育種部となる) |
昭和37年 | 機構拡充により研究部が果樹、病害、化学部及び菊池分場の3部1分場となる。 |
昭和42年 | 機構拡充により次長制が設けられ、庶務係が総務課になる。 |
昭和46年 昭和47年 |
梨品種「幸水」普及始まる 現在地に移転(下益城郡松橋町=現宇城市松橋町)、10月3日落成式 旧河内本場は試験地として5年間残置 |
昭和48年 | 7月18日、機構改革により県果樹指導所、玉名果樹技術指導所、芦北果樹指導所を廃止、菊池分場を統合、天草指導所は天草農業研究所に統合、宇土母樹園を果樹育種部と改称。 果樹試験場に総務課・常緑果樹部(果樹部を改称)。落葉果樹部(菊池分場を統合改称)を設置。 統廃合の結果、1課5部(常緑果樹・落葉果樹・育種・病虫・化学)及び河内試験地となる。 (現在の果樹研究所敷地内) |
昭和51年 | 河内試験地を廃止。 |
昭和54年 | 県果樹園芸講習所閉所、新設の県立農業大学校に統合 |
昭和61年 | 青島温州の珠心胚実生由来「白川温州」育成発表、商標名「金峰」と命名される。 |
平成元年 | 熊本県農業研究センターに統合、果樹研究所に改称 現在の常緑果樹部、落葉果樹部、病虫化学部の3部体制になる。 |
果樹園芸講習所
昭和7年 | 県立農事試験場果樹試験地設立と同時に実習生の教育を開始。農事試験場併設の農業技術員養成所の練習生の教育も行った。 |
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昭和23年 | 県立果樹園芸講習所を果樹試験場に併設。定員・講習生各学年15名、要高卒、2年間) |
昭和24年 | 練習生(中卒、修業年限1年)の過程が定員15名で発足 |
昭和28年 | 熊本県果樹園芸講習所と改称。 |
昭和37年 | 寄宿舎及び果樹研修館、研修宿泊施設新築 |
昭和43年 | 機構拡充により果樹園芸講習所に次長制設けられる。 |
昭和46年 | 募集人員を本科生(高卒、2ヶ年、10名)、専科制(高卒、1年、20名)及び練習生(中卒、1年,15名)に改正 |
昭和54年 | 熊本県立農業大学校の創設により、果樹園芸講習所は閉所 |
出典:
農業研究センター10年のあゆみ(H10.5.27県農研センター発行)
熊本県農業試験場50年史(S38.7.20.県農業試験場発行)
熊本県農業試験場要覧(S54.4発行)
くだもの百年史、果樹王国熊本(H5.7、県果実連発行)
果樹試験場50年のあゆみ(S57.9、果樹試験場発行)