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地域対応研究所(高原・球磨・天草農業試験場)の沿革

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0000758 更新日:2010年1月1日更新

農業試験場の分場から発足、地域農業の発展を担っています。

高原農業研究所

昭和6年 阿蘇郡宮地町(現阿蘇市一の宮町)に農事試験場寒冷地試験地として設置
阿蘇寒冷地試験場の画像
阿蘇寒冷地試験場
昭和9年 阿蘇郡阿蘇町大字小里に移転、農林省畑地利用試験開始
昭和22年
昭和24年
農業試験場阿蘇寒冷試験地が農林省指定雑種育成試験地となる。
高冷地園芸に関する試験開始(昭和23年)、水稲保温折衷苗代の試験始まる(昭和24年)
昭和28年 大豆の優秀品種試験相次ぐ
昭和37年 機構改革により試験地から農業試験場阿蘇分場と改称(阿蘇郡阿蘇町=現阿蘇市)
阿蘇分場
(阿蘇分場)
昭和47年 阿蘇分場を阿蘇郡阿蘇町大字小里から現在地(阿蘇郡一の宮町大字宮地=現阿蘇市一の宮町宮地)に移転
平成元年 農業関係試験研究機関の整備統合により、農業研究センター高原農業研究所と改称
平成3年 建物・施設の整備拡充

球磨農業研究所

昭和27年 茶業試験場球磨分室設置(球磨郡相良村)
農業試験場球磨試験地設置(人吉市)
球磨試験地
(球磨試験地)
昭和30年 茶業試験場球磨分場を球磨茶業指導所に改称
昭和37年 農業試験場球磨試験地を農業試験場球磨分場に改称
昭和42年 球磨分場を現在地に移転(球磨郡上村=現球磨郡あさぎり町)
昭和43年 球磨茶業指導所より出向茶園造成
昭和44年 茶業球磨指導所を農業試験場球磨分場を廃止して併合、球磨農業研究指導所として発足。
作物部、特産部の2部制となる。
平成元年 農業試験研究機関の整備統合により農業研究センター球磨農業研究所となる。

天草農業研究所

昭和13年 熊本県種畜場天草分場設立(本渡市=現天草市)
昭和22年 熊本県果樹試験場天草分場設立(本渡市=現天草市)
温州、ブンタン、ポンカン、河内晩柑、ネーブル、ビワなど果樹多数が植栽、試験研究開始。
昭和27年 農事試験場天草試験地が設立
天草試験地
(天草試験地)
昭和30年 果樹試験場天草分場を天草果樹指導所に改称
昭和32年 農業試験場天草試験地を農業試験場天草試験場に改称
昭和37年 種畜場天草分場を畜産試験場天草分場に改称
甘夏(川野夏橙)の試験研究開始
昭和38年 天草果樹指導所を本渡市中山口より本渡町本戸馬場丸尾が丘に移転
(現在の所在地=天草市本渡町)
昭和39年 機構改革により、農業試験場天草分場、畜産試験場天草分場、天草果樹指導所を統合し、
天草農業研究指導所として発足(作物、果樹、畜産)の3部制となる
昭和50年代 清見、パール柑、ハウスビワの研究進む
平成元年 機構改革により、畜産部は畜産研究所に吸収、
同時に熊本県農業研究センター天草農業研究所として発足、(果樹部門と作物園芸部門)
平成6年 研究本館、作業棟、ほ場の整備完了
白川温州、不知火(デコポン)の研究

出典:
農業研究センター10年のあゆみ(H10.5.27 県農研センター発行)
熊本県農業試験場50年史(S38.7.20.県農業試験場発行)
熊本県農業試験場要覧(S54.4、県農業試験場発行)
阿蘇農業45年のあゆみ(H4.3熊本県阿蘇事務所発行)
天草果樹史(H7.3天草果樹振興協議会発行)

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