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令和6年(2024年)4月15日 蒲島県知事退任記者会見
【4月15日】蒲島県知事退任記者会見
令和6年4月15日(月曜日)11時~
蒲島県知事退任記者会見
日時:令和6年(2024年)4月15日(月曜日) 11時00分から
場所:知事応接室
会見録
知事定例記者会見の会見録や資料等を掲載しています。
なお、知事の発言の趣旨を損なわない程度に読みやすいよう整理しています。
質疑応答
最後の会見に臨まれる心境等について
4期16年の任期について
任期16年の報道との関わりについて
「稼げる農業」の実現への取組みについて
知事の今後について
木村新知事への助言について
知事生活について
川辺川ダムの合意形成と肥薩線について
木村新知事について
県民へのメッセージについて
熊本地震追悼式について
退任に際する御家族の対応について
質疑応答
最後の会見に臨まれる心境等について
(幹事社)
最後の会見に臨まれる今の心境と心残りといいますか、もっと任期があったら自分の手でこれをしたかったというのがあればそれを教えていただけますでしょうか。
蒲島知事
私が知事に就任した頃の熊本県はとても大変な時期でした。
とりわけ借金が1兆700億円あり、貯金は53億円しかない中で、財政再建にどう対応するかが課題でした。それから、川辺川ダム問題も長期化するとともに、水俣病問題などの課題を抱えており、まさに逆境の中にあったと思います。
この逆境の中で、1期目は、財政再建のため、私の給料を124万から100万円カットしました。100万円カットしたら24万円あるなと思っていたんですけれども税金は前の年の給料にかかっているので、24万円じゃなくて14万円で生活しました。
ただ、給料をカットすることによって、知事として、あるいは公僕として、自分のことじゃなくて県民のことに力を注がないといけないと感じました。
川辺川ダム問題については、平成24年9月に県議会でダムの白紙撤回を行いました。そのときの民意が白紙撤回を望んでいたということもあり、県民の85%が支持してくださいました。
水俣病問題は、私が知事になったときの政治の原点ですから、特措法の成立に全力を挙げて、自ら与野党の国会議員にロビー活動を行いました。その結果、平成21年7月の特措法の成立に結びついたのではないかと思います。
特措法がなかったら、水俣病問題はもっと混乱していたと思います。特措法によって本県だけでも3万7,000人が救済され、全国では5万5,000人を超える方が救済されました。
特措法には、「あたう限りすべての方を救済する」と謳われており、その哲学が流れていると思っています。
ただ、特措法が全ての方に理解された訳ではありませんが、当時、特措法が成立していなかったら、今頃(水俣病問題はもっと)難しい状況になっていたのではないかと思います。
2期目は、くまモンの活躍がとても印象に残っております。3期目(~4期目)は、地震、コロナ、そして豪雨災害とトリプルパンチに対応する日々でした。
昨日で熊本地震から8年が経ちましたが、創造的復興を県民と一緒に追及した結果、阿蘇くまもと空港の新旅客ターミナルビルが開業し、熊本駅がとても立派な駅になりました。また、くまモンポート八代もできて、陸海空の玄関口がすべて新しく生まれ変わったことで、創造的復興が県民の方々に理解してもらえたのではないかと思います。
やはり、前よりもいい形で復興することが大事だなと思います。
熊本地震を乗り越えた今、TSMCが熊本に進出し、熊本の発展に50年に1回、100年に1回の発展のチャンスが来ていると思います。
行政において一番大事なことは、自分の利益や権力を追求するのではなく、公僕として県民の利益、県民の幸福量を追求することだと、知事になって改めて理解しました。(4期16年の蒲島県政への)評価は、県民の方、あるいは歴史がすると思いますが、できることを最大限難しい時期に始めて、そして災害を乗り越えて創造的復興を成し遂げ、今、熊本はとてもいい流れの中にあります。
このいい流れを継承した木村新知事は、更に強く大きくする力がある人だと思いますので、世代交代も上手くいったのではないかと思います。
質疑応答
4期16年の任期について
Q
県政は歴史が評価するというふうにおっしゃいましたが、蒲島知事御自身は、自身のこの16年を今後歴史の中でどういうふうに位置付けられると今の時点で考えておられますでしょうか。
蒲島知事
蒲島県政への評価は、今の段階では県民がそれを評価するし、それが本当に良かったかどうかというのは歴史が評価するものと思いますので、自分自身で評価することはありません。
質疑応答
任期16年の報道との関わりについて
Q
定例会見でも290回、他の臨時の会見などを含めると数限りないほど報道機関と相対することが多かったかと思いますが、この16年でもっとも印象に残った報道機関とのやり取りなどがございましたらお願いします。
蒲島知事
報道機関の方に限らず県民の方や議会の方とも私は常に相互信頼(を大事にしてきました)。報道機関であっても言えることは全部言えるし、お会いしたいということであれば、いつでもお会いしました。元々、メディアと政治の専門ですから、お互いに相互信頼があって初めて、いい関係ができると思っていました。
最初は月に1回だけの記者会見を、もっと会う機会があってもいいんじゃないかと思い、2回にしました。常に相互信頼の下、直面(顔を合わせてやり取り)してきました。ただ、(全ての意見に)合意できる訳ではないので、どうしても(意見の)不一致があったときには議論も行いました。
一番難しかったのは、やはり川辺川ダム問題で2008年の白紙撤回を令和2年7月豪雨災害のときに方向転換したことです。この方向転換の政治というのはとても難しいんですよね。
自分が決めたことを新しい場面に直面することによって、転換していくという方向転換の政治学を初めて私自身が経験して、これを県民にどう説明していくのか、これをどのように報道機関の方々と理解しあっていくかというのが一番難しかったと思います。2008年は、85%の方々が「清流を求めていた」、「環境を求めていた」状況でした。嬉しかったのは、(2020年の決断について、)県民の71.4%の方が「今、自分たちが求めているのは清流と命だ」と(方向転換を支持してくださったことです)。
民意の変化をいかに政策に転換していくかというときに、やはり理解し合うのはなかなか難しかったなと思います。
質疑応答
「稼げる農業」の実現への取組みについて
(幹事社)
知事は全国の知事の中で唯一、農業経験があると普段からおっしゃって、16年間、稼げる農業の実現をずっと訴えてらっしゃったんですが、16年を振り返って手応えはいかがでしょうか。
蒲島知事
私が知事に就任した当時、農家の方々の高齢化や担い手不足、耕作放棄地の増加、農産物の価格低迷など、熊本または日本全体の農家を取り巻く環境は非常に厳しいものがありました。そのため、私は熊本の宝である農業が生業として確立されなければならないという強い思いから、1期目のマニュフェストに「稼げる農業」を掲げて、その実現に向けて取組みをスタートしました。
それまでの農業は、価格と生産量=Quantityを中心に考える傾向がありました。
しかし、そこにコストと収益の概念が必要ではないかと考え、Price(価格)、Quantity(生産量)、Cost(費用)の最適化が稼げる農業ではないかという考え方を示しました。
熊本県が先進的に進めてきた取組みの一つが農地集積です。農地を広げることによってコストが下がるんじゃないかと考えました。でも、全部の農家が、また全部の都道府県が農地集積してしまうと、アメリカのようにコストがだんだん下がることによって、値段も下がっていく。だから、どこよりも早く農地集積をしなきゃいけないと考えました。
農地集積をやったところ、全国のモデルとなり、全国に農地中間管理機構が設立されるきっかけとなりました。
なお、熊本県は早く取り組んでいたので、農地集積のリターンを早く得ることができたんじゃないかなと思っています。
また、ブランド化というのがとても大事で、ブランド化することによって収益が増えてきます。「くまもとの赤」は、くまモンが赤いほっぺがを落として失くしてしまったので、くまモンのほっぺを探してください、という運動です。くまモンのブランド力はすごいので、このブランド化によって、熊本の農産物の価値は大きく高まったと思います。このブランド化の結果がどうかということはとても大事ですよね。結果として見ると、この取組みを県で行ったことにより、私が知事に就任した平成20年の生産農業所得が912億円で全国10位だったのに対し、令和4年の生産農業所得は1,446億円で全国4位になりました。つまり、60%増加するといった大きな成果が出たと思っています。熊本の農業はバランスがいいので、ブランド化していって、いわゆる農地集積を進めることでコストも下げることができる。そういう意味では、今、その結果が表れてきているのかなと思っています。
(幹事社)
御自身で農業の施策を上手くできたとおっしゃっているのでしょうか。
蒲島知事
私が上手くやったというよりも一緒に農家の方々が同じ方向を向いて、そこにくまモンが登場してブランド化を進めてくれました。くまモンを使うことにより、これは熊本産、国産ですよというのがきちっと分かる。そういうブランド化を、どこよりもできたというのがとても大きいような気がします。
質疑応答
知事の今後について
Q
知事の今後についてお伺いします。
蒲島知事
今後は東京大学の先端科学技術研究センター(先端研)のフェローに就任予定です。また、先端研のボードメンバーにもなっておりますので、東大で行われている様々な半導体(の研究)について、東京から情報などを頑張って伝達したいと思っています。それから私の教え子たちが今、(様々な職場で)課長級で頑張っていますので、研究会か何かで一緒に食事をしながら話し合って、熊本の方向性についてのアドバイスをいただいて、日本の農業や日本の地方自治を考えるような会を設けたいと考えています。だから、教師に戻る、ゼミの先生になるようなものですかね。
Q
教壇に立つということではなくて、ゼミを受け持つということですか。
蒲島知事
先端研にオフィスをいただいて、先端研の発展のために仕事をする。それだけではなくて、私の場合は熊本で半導体の集積をやって参りましたので、東京のほうから手伝うことができればと考えています。その手段の一つとして黒田先生が今、熊本県立大学に来て理事長を務めていらっしゃいますので、黒田先生とも協力しながら熊本の半導体の集積・発展を手伝いたいと思っています。
Q
つまり、熊本の今後の半導体の集積を研究を通じて後押しできればというお考えということですか。
蒲島知事
はい。東大で(熊本の今後の半導体の集積を後押しする)活動をしたいと思います。
質疑応答
木村新知事への助言について
Q
明日から木村さんが知事になられますけれども、木村さんにアドバイスなどを送られることは今後あり得るんでしょうか。
蒲島知事
求められればアドバイスすることもあり得ます。ただ、彼が東大でゼミ長の時、テーマは私が決めていましたが、その他は一切、木村君に任せたという歴史があります。何も言わないのが私の真意ですので、アドバイスを求められたら喜んでしますけれども、こっちが出向いて行って「こうしたらいいよ。」というような師弟関係ではありません。
質疑応答
知事生活について
Q
知事がこれまで農協職員だったり海外への留学だったり、大学教授と色々と経験されてきましたけれども、60歳を過ぎてから知事生活の16年、人生の中でどのような時間だったでしょうか。
蒲島知事
私は最高の時間だったと思います。
東大の教授の時は、自分のために生きてきました。自分のために生活をしていました。例えば、論文を認められるとか、それから学問的な業績がどのくらい上がるかとか(を重視していた)。ただ、知事になった時から、公僕としての自分を探し出して、そして県民に仕えること、それが1番大きな喜びであって、県民が幸せになれば喜びになるし、県民に仕えている自分を見ることがとても日々の喜びになりました。もし知事になっていなければそういう心境はなかったのかもしれません。
そういう心境を踏まえると、私の人生にとって最高に幸せな時間だったと思います。その幸せな時間を県民に対する愛情と尊敬の念をもってやれたこと、それに対して県民の方々が「相互信頼」で私を支えてくださったこと。こういう関係ができたことは行政として知事として、もっとも喜ばしい時間だったと思います。
質疑応答
川辺川ダムの合意形成と肥薩線について
Q
今日の退任式でもお話がありましたが、任期中に道筋をつけたいと言っていた川辺川ダムの合意形成と肥薩線について、今の時点で知事がどちらについても道筋をつけられたとお考えでしょうか。
蒲島知事
(流水型ダムへの環境影響評価準備レポートに関する)五木村や相良村からいただいた意見については、今回の知事意見にもすべて反映していますが、私は具体的に両村から試験湛水の影響を懸念される御意見がありましたので、環境の影響を極限まで最小化する手法の検討を求めています。
また、五木村の大変貴重な観光資源である五木源パークや渓流ヴィラITSUKIなどが継続して利用できるよう、地域と協議の上、将来像を示すよう国に求めています。
さらに洪水調整時の水位移動に伴う土砂、流木の発生に関しては事前の調整や対策の徹底を求めています。
国には調査レポートの作成において、ぜひ五木村や相良村からの御意見を汲んだ対応をお願いしたいと思います。
ただ、これまで国も最大限頑張られたと思っています。だから、それを五木村と相良村が理解していただければ大変嬉しいです。
五木村においては4月21日に村民集会を開催して、新たな流水型ダムに関する判断を含めた今後の村づくりの方向性について、村としての考えを示されると伺っています。
私の任期後になりますが、五木村が新しい流水型ダムに限りなく近づいていると評価していただきたいなと思っています。
Q
肥薩線については一応合意という形にはなったものの、いろんな課題もあると思いますが、知事としては約束通り道筋をつけられたとお考えでしょうか。
蒲島知事
私はそう思っています。私は、JR九州と肥薩線については合意形成ができたと考えています。ただ、詰めなきゃいけない部分については、しっかりと木村知事の方で肥薩線に関するJR九州との相互信頼を確立してほしいと思っています。JR九州との間で鉄道での復旧という方向性を共有できたことで、私は道筋をつけたとはっきり言えます。新知事の下で来年3月の最終合意を目指して、JR九州と一緒にしっかりと進められていくものと考えています。
Q
先ほど、御回答で出ていた川辺川ダムについて1点確認なんですけれども、五木村での集会は、知事もおっしゃってたように任期を終えられた後ではありますが、やはりこれまで知事自身も取り組まれたということで、改めて現地にそのタイミングで行かれたりとか、そういった予定というのはありますでしょうか。
蒲島知事
私は任期中に、全力を挙げてこれに取り組んできたし、今日まで最大限の力を発揮していきたいと思っています。ただ、任期を越えて、私がこの問題に携わるのではなく、木村君に任せることが大事だと思いますので、彼がこれからしっかりやってくれると思います。
質疑応答
木村新知事について
Q
次の木村新知事なんですけれども、先ほどのお話の中でも世代交代が上手くいくのではないかなという話があったと思うんですけれども、改めて蒲島知事と木村新知事の違いといいますか、性格面とか、お人柄とかについて知事自身はどのように見ていらっしゃいますでしょうか。
蒲島知事
私は、木村君とは28年間、師弟関係にあったし、それからいわゆる上司と部下の関係であったため、今のこの熊本のよき流れを強く大きくする人材だと確信しています。その点を踏まえ、推薦しており、必ずや県民の期待に対して応えてくれる有能な人材だと思っていますので、安心して任せたいと思います。
質疑応答
県民へのメッセージ
Q
先ほど県庁職員に対して退任式で御挨拶されたかと思うんですけれども県民に直接伝えたいメッセージがもしあればお聞きしたいのと、もう一つ、木村知事と長い付き合いになるかと思いますけれども、今、あえて助言といいますか、アドバイスを贈るとしたらどんな言葉をかけますでしょうか。
蒲島知事
県民に伝えたいことは感謝の気持ちです。
これまで4期16年間、ずっと最初から最後まで県民の方々が私に対する相互信頼を、その気持ちを与えてくださったことに対して心から感謝申し上げます。
私自身も、熊本県民に対して敬愛と尊敬の念を持ちながら仕事をすることができました。
それはとても蒲島県政にとって大きかったなと思っています。
また、相互信頼と敬愛が両立した中で政治ができてよかったなと思っています。それがないと様々な災害の時になかなか理解していただけない。あるいは川辺川ダム問題の白紙撤回から流水型ダムの緑の流域治水への方向転換の時に、この私の行動をなかなか理解していただけない。しかし、そういう大きな問題があったにもかかわらず、最後まで相互信頼があって、そして最後まで支援していただいたことへの感謝の気持ちで一杯です。私は敬愛する県民のために、最大限の努力を今日という最後の日までやり続けてよかったなと思っています。
それから木村君は、今の熊本県の強きよき流れを更に大きく強くする、とても能力のある人材だと思っておりますので、今の熊本県民の期待に大いに応えられる人材だと思います。
私の経験から木村君に一言お願いしたいのは、やはり公僕の精神(を大切にしてほしいということです)。自分ではなくて県民を愛し、県民を尊敬し、そして県民のために仕事をすることに喜びを感じる。そういう知事になってほしいなと思っています。ただ、それを直接伝えるんじゃなくて、自然に分かってほしいなと思います。ゼミ長のときもそうでしたけれども、私は新党の研究をやりましょうと言っただけで、後は授業も本の出版も木村君が全部リーダーシップをとってやった。だから木村君がよく知っているけれども、私は、ほとんど口を出さないし、怒ることもない。だから、そういう関係なので、私が熊本に出てきて、それはおかしいだろうとか口は出さないし、自分で考えることが大事だと思います。
質疑応答
熊本地震追悼式について
Q
退任の日に恐縮なんですけれども、昨日の熊本地震の追悼式でのやり取りについて、改めて。大和晃さんの御家族とお話を若干もたれたと思うんですけれども、捜索の終了の判断をされていますが、改めてどういったやり取りがあったのかと、そのときのお気持ちも含めてお聞かせください。
蒲島知事
大和さんの御家族とお会いした時、私は「至らぬ知事で申し訳ありませんでした」と頭を下げました。それに対して「御苦労さまでした、ありがとうございましたと」いうお返事がありました。
Q
知事はどういったような思いで向き合われたのでしょうか。
蒲島知事
やはり、大和さんの御家族はつらい思いをされたと思いますし、今でもずっとつらい思いは残っていると思いますので、私自身は県民の方をそういう思いにさせることは、自分自身が至らなかったなという気持ちがありましたので、また、そこで会うのは昨日が最後だったと思いますから「至らぬ知事で申し訳ありませんでした」とお答えを申し上げた次第です。
質疑応答
退任に際する御家族の対応について
Q
振り返ってみて、奥様がアメリカ留学のときの赤貧時代からずっとお付き合いがあって、今回の退任にあたって、何か御感想、知事にお話しされたことはありますか。
蒲島知事
妻は、大体私の決断について来てくれているので、コメントを言うことはありませんけれども、こういう決断に至ったことに関しては安らぎを感じたんじゃないかなと思います。妻の立場から見てみると、休みはないし、朝3時から起きてずっと仕事したりして、体がもつだろうかといつも心配してくれていたと思います。そういう生活がこれからなくなるから、きっと体力的それから身体的にも安心したような雰囲気を感じました。
コメント
最後に私が皆さんにお礼を申し上げたいと思います。
4期16年、大変お世話になりました。私はもともと、東大では政治参加や投票行動を教えており、「メディアと政治」という本も書いています。その本を書いた段階からメディアに対する敬意はとても感じておりますので、皆さんとお会いできて大変嬉しく思います。
このような形で、様々な争点について、皆さんは読者や視聴者の観点から問題点を詰めていき、私はそれに対して説明責任があるので、しっかりと説明したいと思い、取り組んできました。
なにぶん、多くの争点について説明しないといけないので、スムーズではないこともあったかもしれませんが、なるべく皆さんの苦労を少なくするために、多少なりとも努力したつもりです。
それから(初の取組みであった)月に2回の定例記者会見を私は当然だと思ってOKしました。定例記者会見を月に2回というのは相当きついけれども、頑張ったつもりですので、足りないところがあったらどうぞ許してください。
本当に皆さんありがとうございました。