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田中達也さん インタビュー
田中 達也(たなか たつや)さん インタビュー
2010年開設のインスタグラムのフォロワーは340万人超え(2021年12月現在)。今や世界中にファンを持つミニチュア写真家・見立て作家の田中達也(たなかたつや)さん。今年1月~3月に熊本市現代美術館で開催された「MINIATURE LIFE展2」が、大盛況のうちに閉幕したことは記憶に新しい。今年11月には、熊本の魅力と創造的復興が進む状況を発信する新たなプロジェクト「ミニチュアくまもと旅するモン」が始まり、熊本ならではの風景をユーモラスに描き出している。今回の企画の見どころや、故郷・熊本に寄せる思いを伺った。
―現在の活動を始められたきっかけは、何だったのでしょうか?
大学卒業後は、鹿児島のデザイン会社でアートディレクターとして働いていました。カメラマンと仕事をする中で、自分も写真の勉強をしたいと思っていたんです。当時は、インスタグラムが世に出始めた頃で、インスタグラムは写真だけで自己表現をするメディアなので、写真の技術を磨きたいと思っていた僕にはちょうどいいのかな、と軽い気持ちで始めました。今思えば、言葉で語らずに表現する手法が自分に合っていたんだと思います。
趣味で集めていたミニチュアを被写体として撮り始めたのは、仕事が忙しく、人物をモデルとして撮る時間が確保できなかったからです。毎日投稿する、という自分なりのルールを設けた上で、半分はコレクションを自慢したい気持ち、半分は“いいね”が欲しい気持ちで当時は制作を続けていました。
―これまでの投稿数を見ても4800を超える作品を発表している田中さんですが、ご自身にとって特に印象に残っている作品はありますか?
今、振り返ってみると、ブロッコリーを木に見立ててキリンと一緒に写真を撮った作品ですかね。何気なくアップしたものだったのですが、普段より“いいね”の数が多く付いたんです。そこでミニチュア単体で撮影するよりも何かに見立てる方が、反応がいいんだなということに気付いたんです。そこからすぐに“見立て”をやろうとはならなかったのですが、徐々にその気付きを通して、自分の作品に対するテーマ性を見出してきた感じですね。今でもブロッコリーは、僕の作品のシンボルのような存在ですね。ブロッコリーが入ると、絵がまとまるので、僕にとってはもはや“恩人”です。
―田中さんにとってシンボルのような存在なんですね! お仕事をなさる上で、大切にされていることは何でしょうか。
シンプルに“自分にしかできないこと”に専念することですね。制作チームで言うと、僕は、作品のシーンとアイディアを作ることに専念する。アシスタントは、必要な材料を作ることに専念する。これは、どのビジネスにおいてもそうだと思いますが、それぞれの役割の中で力を出し切った上で、よりよい表現を追い求めていくことが大事だと思っています。
それから、さまざまな仕事の依頼を受ける中で、迷った時には“本当に自分がやるべきことなのか”を自分自身に問いかけます。その都度、納得して受けた仕事を積み上げていくことで、後から振り返った時に、自分だけの道ができているのだと思います。
―ご自身が生まれ育った熊本の魅力は、どのようなところだと感じてらっしゃいますか?
自然豊かな環境は、外せないですよね。特に海でも山でも身近に触れ合える自然が多いのは、熊本ならではの大きな魅力だと思います。僕は高校時代に山岳部に所属していたのですが、少し足を延ばせば子どもと一緒に登れるような穏やかな山もたくさんありますし、僕自身も幼い頃は父親に連れられて天草に釣りに出かけていました。
それにおいしいものもたくさんありますよね! 高校生まで熊本で過ごした僕にとって、熊本ラーメンは懐かしい味のひとつ。帰熊するたびに、つい暖簾(のれん)をくぐりたくなってしまうほど、変わらず魅力的な存在ですね。
―田中さんがこよなく愛する故郷の日常が大きく揺らいだ熊本地震から約5年半の月日が経ちました。新阿蘇大橋の開通など創造的復興が進む現状をどのように感じてらっしゃいますか?
熊本地震が起きた直後は、復旧・復興には相当な時間がかかるだろうと思っていましたが、想像以上に力強く、スピーディに進んでいることをとても頼もしく感じています。その背景には本当に多くの方の尽力があってこそだと思うのですが、発災前よりも熊本の街の魅力は、さらに増幅しているように感じています。
―創造的復興が進む中で、昨年7月には豪雨によって県南地域を中心に甚大な被害が発生しました。一報を受けた時には、どのように感じられましたか?
鹿児島で雑誌を作っていた頃に伺っていた人吉でお世話になった人たちの顔や、なじみのある味、特急「いさぶろう・しんぺい号」に乗って人吉まで旅をした時の思い出がフラッシュバックのように浮かんできました。僕が活動拠点を置く鹿児島から見ると、人吉は“お隣さん”というよりもっと近しい感覚のある場所なんです。
災害によって町から失われたものは無数にある中で、無くしてしまったものをどう補うのかが重要なポイントだと思います。僕が日々取り組む“見立て”の世界も、ないものを補うところから始まります。無くしたものはあまりに大きいですが、その穴を埋める道は一つではないよ、と伝えたいですね。
―今回、創造的復興が進む熊本の魅力を発信するプロジェクト「ミニチュアくまもと旅するモン」がスタートしましたが、この企画に寄せる思いを聞かせてください。
これまで、作品を通じて熊本の復旧・復興に携わる機会がなかったので、この企画を通じてようやく貢献できることを光栄に思います。今回は、描く風景も使う素材もすべて熊本のものです。僕自身が熊本に住んでいたからこそ、熊本の風土を作品に落とし込めたかなと感じています。
くまモンといつかコラボしてみたい、という気持ちがずっとあったので、公式にコラボの場を与えてもらえたのもうれしかったですね。活躍めざましいくまモンですが、くまモンは、くまモンのことを知らない人でも目に留まるかわいさがあるので、作品を作る際も純粋に楽しんで作ることができました。これらの作品を通じて、世界中の人がくまモンや熊本に関心を寄せるきっかけになれたらいいですね。
―台湾の半導体製造大手「TSMC社」の熊本進出や「阿蘇くまもと空港の新旅客ターミナルビル」の建設など、さらなる発展につながる動きもありますが、今後の熊本県に期待することは何ですか。
“創造的復興”という言葉を使われていますが、とてもよい言葉だなと思います。熊本地震や県南地域の豪雨によって大きな被害を受けた熊本だからこそ、可能性は無限に広がっているはずです。ここでうまく知恵を絞り、熊本の未来がよりよいものになっていくことを願っています。
―最後に、県民の皆さんに一言、メッセージをお願いします!
今回の「ミニチュアくまもと旅するモン」では、皆さんが普段から目にしているであろう題材を使って、熊本を象徴する風景に見立てています。作品たちを通して、改めて熊本に向き合うことで、個々の中にある熊本の魅力を再発見してほしいですね。
【ミニチュアくまもと旅するモン 特設サイト】