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内村光良氏 インタビュー

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0077203 更新日:2020年12月28日更新
内村氏インタビュー写真1

「芸能」の道へ進まれたきっかけを教えてください。
やっぱり映画が好きだったんですよね。親父が8ミリカメラで入学式の様子を撮ってくれたり、深夜映画で放送されていた「七人の侍」を「これは観ときなさい」と言ってくれたりしていてね。映画に夢中になったのは、親父の影響が大きかったでしょうね。ただ、中1のときにチャップリンの「街の灯(ひ)」という映画を観たときに、改めて映画のすばらしさのとりこになったことを今でも鮮明に覚えています。あとは「ロッキー」にもハマって、中1〜中2くらいのときには、「映画監督になりたい」と思っていましたね。
人吉高校を卒業して進学した横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)の演劇科では、お笑いの授業を必ず2カ月やらなければいけなかったんです。その授業で「クラスの誰でもいいからコンビを組め」となって。講師は内海桂子・好江師匠。そこで余った者同士で組んだのが南原君だったんです。同じクラスには出川君もいましたけど、本能的に、彼とは組まなかったんでしょうね(笑)。そこで南原君とのネタがウケたもんだから(笑)、好江師匠にすすめられて受けたのが「お笑いスター誕生!!」というオーディション番組です。これが世にでるきっかけで、20歳でデビューしました。

 

内村さんのコントの個性的なキャラはどれも魅力的です。 どのようなときに思いつくのでしょうか?
また、コントを考えるうえで、大事にしていること、心掛けていることなどあれば教えてください。

「コントで世の中に認められた」という意識が大きいんですよね。自分でネタを書いて、南原君と2人でそれを演じて勝ち上がって、世に認められた…というのがまず根底にありますので、コントは絶対に捨てるわけにはいかないというか、これを続けなければならないというか、自分の“核”になるものだという気持ちがずっとありますね。おかげさまで縁があって、今もいろんな場所でコントをやれていることが、まずラッキーだなと思っています。いつまでできるかわかりませんが、オファーがあるうちは続けたいなと思っています。
あと、志村けんさんからいただいた言葉も大きかったですね。実は1度だけ一緒に飲んだことがあるんですけれど、「あなたはコントで世に出てきたのだから、コントを続けなさい」とおっしゃっていただいて。後日そのことを志村さんに言ったときは、「俺、覚えてねえよ」って(笑)。志村さんならではの返しだったんでしょうね。
キャラクター造形は、初期の頃は身近な人を想像して書いたりしていました。親戚のおじさんを思い出してメイクしたり(笑)。「九州男児」はもう自分のルーツですよね(笑)、九州弁でできるので、すごくやりやすくてアドリブができるんですよ。あとは、コントのなかで自然に生まれるものも多いですよね。「小須田部長」の耳あてなんかもそうですし、たまたま牛のメイクをしてリハーサルのときに桃井かおりさんを思い浮かべて演じた「ミル姉さん」が当たっちゃった! みたいな(笑)。狙ってなかなかできるもんじゃなくて、偶発的に生まれたものが7割くらいあるんじゃないかなあ。

内村氏インタビュー写真2

 

座右の銘やモットーなどを教えてください。
まずは、「がんばれ!」というシンプルな言葉ですね。仲間に対しても、自分自身に対しても、よくこの言葉をかけています。あと、2020年で芸能生活36年目を迎えましたが、この世界で長くやってきて思うのは「継続は力なり」ですかね。経験と場数はやっぱり必要だなあと思います。

 

熊本で、好きな場所や印象に残っている場所はありますか?
今年は特に水害があったので、人吉には何度か帰ってきておりました。もちろん、新型コロナウイルス感染予防対策をして。昨年までも意外としょっちゅう帰ってるんで、実は懐かしさってあんまり感じないんですよね(笑)。
地元だと「人吉城跡」がやっぱり好きで、あとは人吉市街地を見下ろす場所にある「村山公園」なんかもとってもいいですよね。そのどちらもいま仮設住宅が次々と建っていて、水害があった現実を目の当たりにするとやっぱりショックでした。あそこは本当によく遊んだり、デートをしたり、そういう大切な思い出の場所でしたから。
もちろん球磨川も大好きな川です。熊本市内だと新市街が好きで、「Denkikan」には、高校のとき急行電車で2時間かけて映画を観に行っていた、大切な場所です。

 

この度の豪雨災害によって、県南地域を中心に甚大な被害が発生しました。
ご家族やご友人の当時の状況など教えていただけますか。

市長のスピーカーの声が届いたみたいで、うちは奇跡的に従兄弟が危険を察知して、実家に駆けつけてくれたんです。実家は両親が2人で住んでいるのですが、屋根裏に避難して…。床上浸水になって腰くらいまで浸かってしまったので、いろいろな思い出の品もダメになってしまいましたね。なんとか、元の生活に戻ろうとしているところですね。うちはどうにか屋根裏に逃げられたから良かったですが、川沿いの被害は本当に深刻で…水害後に初めてその光景を見たときは、本当に絶句してしまいました。
特にトップニュースで見た俯瞰(ふかん)の映像は衝撃的で。あの街並みを全部知っているから。実家や近くのスーパーが浸かっているのもわかりましたし、本当につらかったですね。知っている街が災害に遭うということが、これほどきついことかと実感しました。友人の家も全壊になった家もありましたが、一命は取り留めたということで、それだけが救いだったなと思います。今も不自由な生活を強いられているたくさんの方々に心からお見舞い申し上げます。

内村氏インタビュー写真3

 

熊本県は、熊本地震からの復興途上にある中、新型コロナウイルス、豪雨災害に見舞われました。
今の熊本県の状況を、どのように思われていますか。

熊本地震のときは忘れもしませんが、テレビ番組をみんなで観ようと集まっていたんです。22時から始まるので、20時くらいから集まって食事をしていて。そしたら21時をまわって、とんでもなく熊本城が揺れているのを映像で観て。もう絶句したんです。あの衝撃は本当に忘れられません。しかも1度ではなく2度大きく揺れた。皆さん本当に怖かったろうなと思います。人吉ですら震度5ですから。震度7なんて、とんでもなかったんだろうなと。今もまだ苦労されている方がいらっしゃいますし、人吉・球磨、芦北の皆さんも、まだ不自由な中にコロナがあり…。私もいろんな人から「ボランティアに行きます!」と言われたんですが、県外からの支援ができない状況なので、「気持ちだけお受けします」と伝えていました。本当に非常に苦しい状況のなかで、どうにか皆さん踏ん張ってほしい、と思います。来年はどうか明るい年になったらいいですよね、心からそう思います。


今後、どのような復旧・復興を期待、希望されますか。
草がびっしりと生えている線路を見て、鉄道って果たしてどうなるんだろう、観光ってどうなるんだろう、温泉旅館も球磨川くだりも球磨焼酎も今後どうなってしまうんだろう、地元の皆さんは本当に頭を悩ませているんだろうなって思います。「前を向いて」と言うのは簡単ですが、被災された方々の心痛を考えると、なかなか言えないですよね。せめて国道219号は通ってほしいし、ちょっとずつは回復をしてほしい。止まっていては何も進まないですから、歯を食いしばってなんとか…と思います。東日本大震災のときも、あれだけの災害でここまで復興できているので、ちょっとずつだろうけど、がんばってほしいとしか言いようがないですね。

内村氏インタビュー写真4

県民の皆さんに一言、メッセージをお願いします。
九州、とくに熊本は本当に大きな災害が続いていますよね。益城付近の道路を車で走ったことがありますが、地震後はぼこぼことしていた道が、今はきれいに舗装されていて感動します。少しずつですが、阿蘇の橋も、熊本城も、今回の水害も、日に日に復興が進んでいますよね。人間は、本当にたくましい。そういう熊本の人たちの気概(きがい)というものを、私も同じ熊本県民として誇りに思っています。人吉で車を走らせていたとき、横断歩道に子どもたちがいたので車を停めて渡らせてあげると、地元の子どもたちが車に向き直ってちゃんと一礼をするんですよ。こういう県民性というのかな、本当に誇らしく思います。1日も早い復興を心から祈っています。


内村さんの来年の抱負を教えてください。
来年は月イチで熊本に帰れるようになりたい(笑)! 新幹線で帰ることもあるんですが、熊本駅にはラーメン屋さん増えましたよね(笑)? あそこをめぐるのが好きで、もう歩いているだけで楽しいんですよ。意外かもしれませんが、絶対私だと気付かれません(笑)。

プロフィール

内村氏プロフィール用写真

1964年、熊本県人吉市生まれ。
人吉高校卒業後、横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)演劇科在学中に南原清隆氏と出会い、コンビ「ウッチャンナンチャン」を結成。
お笑いのフィールドにとどまらず、俳優、映画監督、司会者と多彩に活躍中。
第71回NHK紅白歌合戦総合司会を務める。