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第11回 鉛筆─意外とガラパゴスかも知れない道具です─

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0056476 更新日:2020年10月1日更新

熊本県立美術館だより「View Vol.170」より

 意外と遠方の学芸員の方々にも読まれているらしいこのコラム。今回は編集担当のK子学芸員から「次のView、ページ空けますんでコラム書いてください」との申し出を受け、掲載することができました。ありがたいお話ですが、私も様々な仕事を抱える身。「働き方改革」が声高に叫ばれる昨今、残業がこのコラム執筆のためであったとしたら、あるいはこのコラム執筆がたたって私が倒れてしまったら、果たして本庁や厚生労働省はどのように判断するのでしょうか。保険はおりるのか、葬儀で妻がいかなる挨拶をするのか、嵐の解散は結局いつなのか、気がかりなことが多くて眠れない毎日です。
 さて、今回のテーマは「鉛筆」です。前回は調書についてご紹介しましたが、念写を得意とする方でない限り、紙があっても書くものがなければ話になりません。そして、我々ガッゲーイン(熊本弁)にとっての書くための道具こそが、この鉛筆なのです。社会人になってからは鉛筆なんてすっかりご無沙汰❤という方も多いことでしょう。しかし、この業界において作品の前でボールペンなどインクを使う筆記具はご法度。例えそれが三色ボールペンであっても、モンブランの高級万年筆であっても、ハ〇ーキティ優美蒔絵複合筆記具であっても、けして使用してはならないのです。
 理由は極めてシンプル。インクが漏れたり跳んだりして作品を汚してしまう可能性があるからです。では、シャープペンシルはどうかといいますと、折れた芯が飛んで作品に突き刺さってしまうかもしれないので、基本的にはNGです。とはいえ、その可能性はインク漏れに比して低いですし、鉛筆は丸まると書きにくくなってしまいますから、中にはご所蔵者にお許しを頂いた上でシャープペンを使われる学芸員もおられます。世の中にはいろいろなグレーゾーンがあるものですね。
 思えば、就職後の私が初めて担当したのは国内数館を巡回した「シャガール展」でした。大学院で日本の近代美術を専攻していた私が、シャガールについて知っていることといえば、地元にそういった名称の大人向け店舗があるということぐらい。右も左もわからぬままに仕事を進め、展示作業を目前に控えたある日、当時の学芸課長・F家さんが例の早口で「サクヒンガクッケンテンケンバスッデスタイ!!」と私に向かって唱えられたのです。響きからすると東欧由来の気合の入った呪詛かもしれない、勤務態度が悪かったのだろうか、そういえば昨日副館長からポロシャツの裾をズボンから出していたことをこっぴどく叱られたな実話)、などと怯えておりますと、F家課長はゆっくりと優しく、こうおっしゃって下さいました。「作品が、来っけん、点検ば、すっですたい」と。
 作品借用時の点検がどんなものかについては、前回にも書かせていただいた通り。しかしこの時は状況が異なりました。海外から作品をお借りする際には、所蔵館から「クーリエ」という学芸員が作品に随行しますので、点検はその方々とすることがしばしばあります。この時の借用相手先はロシアとフランスの美術館。私はかの国々のクーリエを相手に点検をしなければならなかったのです。言葉は全くわからんが、とにかく相手に舐められんようにしよう。そう思った私は、新品の鉛筆を買うべく夜のコンビニに走ったのです。
 いよいよ点検当日。フランスからは優しそうなおじさんクーリエがお1人いらっしゃいました。対してロシアは男女混成4人組。いずれの方々も屈強そうな体格で、しかも男性のうちお一人が横縞のTシャツをお召しになられているものですから、自ずとスペツナズ(特殊部隊)的雰囲気を漂わせています。企画会社の方からどちらから点検するかと問われた私は、フランスの方からと即答しました。怖いから
 作品が集められた展示室で、朝研いだばかりの鉛筆を取り出す私。しかし、あろうことかフランスのクーリエは色違いのボールペン数本を取り出し、それで点検を始めやがったのです。「ボールペンを使わないで!」と言いたかったのですが、英語でボールペンと鉛筆をどのように言い分けるのかが分かりません。まごまごしているうちに今度は暇を持て余したロシアのクーリエたちが飴玉をなめ始めました。おいちょっと待て!虫が来るので展示室内での飲食は厳禁です。「ご、後生ですから飴は舐めないでェ!と哀願すべく脳内で英語に変換しておりますと、私の視線に気付いたのか、例のスペツナズが「お前も食え」(声:玄田哲章)とばかりに飴玉を手渡してきます。包み紙にはもちろんキリル文字。私は笑顔で受け取り、そっとポッケにしまったのでした。
 いきなりのハードな作業でしたが、ボールペンの合理性にも気づかされました。フランスのクーリエは損傷の種類によって、色を使い分けていたのです。剥落部は赤、ヒビは黄色、シミは緑、といったように。色があれば一目瞭然です。さらにそうした情報は調書に重ねた透明のシートに書き込まれていました。作品は日本各地の会場を巡回します。シートは会場ごとに作成され、調書に重ねられることで、状態の変化が蓄積されるのです。これはなかなかの知恵。鉛筆のみというのは、日本だけなのかもしれません。感心している横でスペツナズ達は飴玉をなめ続けておりましたが。
 さて、最後になりますが、我々日本のガッゲーインが作品の状態を調書にどのように書き込んでいるかをご紹介しましょう。単色の鉛筆ですので、基本的に文字での書き込みが中心になります。書き方は人それぞれですが、私の場合は素早く書けるようカタカナを用いておりまして、傷のある個所は「キズ」、シミがある場合は「シミ」、折れのある個所は「オレ」、剥落部分は「ハゲ」、完全に剥落した欠損部は「カケ」、といったように記しています。よくわからない時には「」、強調したいときには「」を記すことも。例えばとても状態が悪い危険な掛軸を点検した場合、調書には次のような文言が記されるのです。「オレ、オレ、オレ?、キズ、オレ、オレ、ハゲ、カケ?、オレ、ヨゴレ、カケ、オレ、オレ、ヤケ、カケ?、オレ、シミ、オレ、ヨゴレ、キケン!

(林田龍太)