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大正、昭和の匂いが懐かしい
薩摩街道筋を中心に、明治~大正~昭和の町の区割りがそのまま残っている温泉街です。
古い町並みの露地裏にしっかり残っている土蔵づくり、町並みの赤い郵便ポスト‥‥。そんな町の中に暮らしに欠かせない味噌づくりのお店。持ち込みの米や麦でおいしい味噌を作ってくれます。
ラムネ製造屋さん、手づくりのニッケ玉のお店‥‥店先で作業風景が見られます。見飽きません。どこにもない日奈久の味わい、現代の特区といえます。
元祖は「文禄・慶長の役」(1591)の後に加藤清正に従って来日した陶工・尊階が豊前上野に窯を開いたことに始まる。後に細川忠利が豊前から肥後へ入国した際に上野喜蔵が忠利に従い日奈久近くの高田に窯を開いたことから高田焼と呼ばれる。
象嵌の技法を特色とする。薩摩街道に面して上野家が代々技を継いでいる。
地場産業の振興を図って明治35年に、日奈久の竹細工の工業補習科が日奈久小学校内に設けられてから竹細工の技術が向上し、一時は小学校の正科にも組み込まれました。近くに孟宗竹が多いのを生かした”地場産業“です。大正14年の記録では竹製品の製造39戸、従業員数81名と盛んで日奈久の竹細工の名声を高めます。その伝統技術は今に受け継がれています。
八代海で獲れる近海魚のハモ、グチのすり身を竹に巻いて焼いた家庭用のものであった。
明治16年に岩崎和助が営業用として始め日奈久名物になった。
昭和30年代に機械化された。現在数件の店が個性ある味を誇っている。日奈久の猫はお店の味を知っていて、好みのちくわを食べわけるという。
古い町だけあって昔から伝わるご利益のある恵比寿さん、お稲荷さん、足手荒神さんが細い露地の角に、奥に祀られています。
温泉神社の上には稲荷大明神の赤い鳥居が山上に伸びています。境内には足手荒神さんも。また高田焼の裏手にも足手荒神さんが鎮まっています。
海の町のシンボルはお恵比須さん。狭い町中に15もの祠が祀られています。いずれもガッチリした石造りの立派な祠です。
湯煙こそありませんが、温泉情緒をかみしめながら散歩がてらに一つ一つお詣りしたら、日奈久温泉のまちの良さを肌で感じることができます。
足手荒神さん
えびすさん