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「八代海干拓遺跡」の国史跡指定答申について

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0119796 更新日:2021年12月20日更新

 令和3年12月17日に開催された国の文化審議会において、八代市に所在する「八代海干拓遺跡」を国史跡に指定するよう文部科学大臣に答申がなされました。この答申を受け、令和4年4月頃の官報告示により、正式に国史跡となる予定です。

 県内の国史跡は、本年10月に指定された甲佐町の陣ノ内城跡に続き44件目、また、八代市における国史跡は、平成26年3月に指定された「八代城跡群 古麓城跡 麦島城跡 八代城跡」に続き2件目となります。

八代海干拓遺跡とは

 八代海干拓遺跡は、江戸時代後期に築かれた高島新地旧堤防跡、大鞘樋門群、明治時代から昭和時代にかけて築かれた2基の郡築樋門群の3つの干拓遺跡で構成されています。これらの遺跡は、八代海の干拓の歩みや新田開発の具体的な様子に加え、干拓に特有の樋門や堤防の構造・工法の発達を知る上で重要な遺跡として評価されています。

高島新地旧堤防跡

 江戸時代後期頃、熊本藩は生産力向上のため、八代海沿岸各地で干拓を進めました。高島新地旧堤防跡は、県内最古の旧潮受け堤防で、文化13年(1816年)に、八代城代・松井徴之氏の指示により、高子原村と松崎村が築いた干拓に伴う堤防と樋門です。県道八代不知火線沿いに所在し、全長約85m、幅約9.4mの直線状に石灰岩を野面積みした堤防跡が保存されています。

大鞘樋門群

 藩主細川斉茲は、八代・宇土・下益城3郡沖の2,600町歩の干拓を計画し、鹿子木量平はその計画に基づき、百町新地開、四百町新地開や七百町新地開を次々に成功させていきました。

 大鞘樋門群は、鹿子木量平と謙之介の父子によって、文政2年(1819年)の四百町新地の干拓の際に造られた樋門で、当初は5基の樋門がありましたが、現存するのは、「殻樋」「二番樋」「江中樋」の3基のみです。また、「殻樋」は5連樋、「二番樋」と「江中樋」は3連樋の樋門で、いずれも精密に加工した砂岩が使われています。

 なお、「殻樋」は平成23年夏の大雨で、「江中樋」は平成28年熊本地震で被災したため、応急処置を行っています。

郡築樋門群

旧郡築新地甲号樋門

 郡築干拓に伴い、明治33~35年(1900~1902年)にかけて造られた現役の樋門です。全長約31.5m、幅約5.2m、高さ約6.8mの石造アーチ式の10連樋門で、現存する石造り樋門としては、国内最大級です。アーチ部分には、煉瓦を3重に積み上げ、樋門本体は切石で造られています。平成16年に国指定重要文化財になっており、国史跡との二重指定となります。

郡築二番町樋門

 昭和11年(1936年)に高潮で郡築干拓の堤防が決壊したため、昭和13年(1938年)に堤防の決壊場所に新たに造られた、この時期では珍しい石造りの樋門です。全長約12.5m、幅約4.5m、高さ約6.0mの石造アーチ式の3連樋門で、装飾的な点に特徴がみられます。
 なお、平成10年に国登録文化財となっています。

八代海干拓遺跡リーフレット (PDFファイル:2.47MB)

(参考)

文化庁ホームページ(文化審議会の答申(史跡等の指定等)について)https://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/93621901.html<外部リンク>

八代市ホームページ(「八代海干拓遺跡の国史跡指定答申について)http://www.city.yatsushiro.lg.jp/kiji00316396/index.html<外部リンク>

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