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くまもと県議会報 第229号
くまもと県議会報 第229号 令和7年9月定例会

表紙写真説明文
○鞠智城
「鞠智城」は、東アジア情勢が緊迫した7世紀後半(約1350年前)にヤマト政権が築いた山城です。
663年の「白村江(はくそんこう)の戦い」で大敗したヤマト政権が唐(や新羅)の侵攻に備えて西日本各地に築いた城の一つで、西海道(九州)の統治の起点となった大宰府もしくは、その前身となった拠点を守るための支援基地と考えられています。
有明海からの侵攻や西海道の南部地域(隼人(はやと)などのヤマト政権(大宰府など)の地域支配の拠点だったと考える説もあります。
『続日本紀(しょくにほんぎ)』など、国の歴史書にもある国の重要遺跡として、平成16年2月27日に国史跡に指定されました。
○山鹿灯籠
山鹿灯籠とは、木や金具を使わず和紙と少量の糊だけで制作される精巧な工芸品です。留め具なども一切使わずに立体構造を作り上げ、曲線部分は、のりしろを作らずに紙の厚み部分のみを使って貼り合わせるなど、すべての工程において繊細な作業が続きます。
山鹿灯籠の種類は、千人灯籠踊りなどで有名な「金灯籠」を始め、「宮造り灯籠」「座敷造り灯籠」などがあります。そのいずれもが、立体的構造作品で、和紙のみで製作されたものとは判断もつかないほどの質感・重量感を備えています。また、その部品の中身がすべて空洞で作られていることなど想像もつかない緻密な技法で作られ、まさに紙工芸の極致とまでいわれています。
○鞠智城
「鞠智城」は、東アジア情勢が緊迫した7世紀後半(約1350年前)にヤマト政権が築いた山城です。
663年の「白村江(はくそんこう)の戦い」で大敗したヤマト政権が唐(や新羅)の侵攻に備えて西日本各地に築いた城の一つで、西海道(九州)の統治の起点となった大宰府もしくは、その前身となった拠点を守るための支援基地と考えられています。
有明海からの侵攻や西海道の南部地域(隼人(はやと)などのヤマト政権(大宰府など)の地域支配の拠点だったと考える説もあります。
『続日本紀(しょくにほんぎ)』など、国の歴史書にもある国の重要遺跡として、平成16年2月27日に国史跡に指定されました。
○山鹿灯籠
山鹿灯籠とは、木や金具を使わず和紙と少量の糊だけで制作される精巧な工芸品です。留め具なども一切使わずに立体構造を作り上げ、曲線部分は、のりしろを作らずに紙の厚み部分のみを使って貼り合わせるなど、すべての工程において繊細な作業が続きます。
山鹿灯籠の種類は、千人灯籠踊りなどで有名な「金灯籠」を始め、「宮造り灯籠」「座敷造り灯籠」などがあります。そのいずれもが、立体的構造作品で、和紙のみで製作されたものとは判断もつかないほどの質感・重量感を備えています。また、その部品の中身がすべて空洞で作られていることなど想像もつかない緻密な技法で作られ、まさに紙工芸の極致とまでいわれています。