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熊本県農事試験場・農業試験場・農産園芸研究所の沿革

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0000760 更新日:2010年1月1日更新
(現在の農産園芸研究所、生産環境研究所、い業研究所、果樹研究所、高原農業研究所、球磨農業研究所、天草農業研究所のルーツです)
設立前 明治9年 県内に苗種栽培所が設置され、主に稲作(のちに麦作、粟黍(あわ・きび)、落花生、かんしょ等)の試験研究が行われる。のちに果樹、蔬菜(そさい)、茶の試作地も設置
明治17年 農事試験が県営となる。
明治26年 農商務省農事試験場九州支場が設置される。
(現在の独立行政法人九州沖縄農業研究センター)
県内の各郡に農事試験所を設置
明治34年 (このころ、玉名・鹿本・菊池・天草・下益城・八代・芦北の7郡に農事試験場が設立されていた)
明治43年 県会に農業試験場設置案が提案され、満場一致で可決。
農事試験場時代 明治44年 熊本県立農事試験場設置(飽託郡出水村=現熊本市菅原町)
当時の県立農事試験場正門の画像
当時の県立農事試験場正門

原蚕種製造所を熊本市南千反畑町に設置

大正6年 原種田が県農事試験場経営に移される。
農事試験場に茶業部設置(飽託郡出水村=現熊本市出水)
大正8年 蔬菜、特用作物、病虫研究、施肥標準調査に着手
(この年から野菜・果樹園芸に関する試験研究が本格的に始まる)
大正11年 原蚕種製造所を蚕業試験場と改称
昭和6年 阿蘇郡宮地町(現阿蘇市一の宮町)に阿蘇寒冷地試験地を設置
熊本市池田町に園芸試験地を設置。
阿蘇寒冷地試験地の画像
阿蘇寒冷地試験地
昭和7年 柑橘試験地を飽託郡河内村(現熊本市河内町)に設置
昭和8年 八代郡千丁村(現八代市千丁町)に藺草試験地を設置
昭和11年 い草試験地開設
昭和14年 茶業部農事試験場と合併し、茶業試験地となる。
昭和19年 農事指導所に改称、戦時下により試験研究より食糧増産を優先。
昭和20年 農事試験場に名称がもどる
昭和22年 柑橘試験地が果樹試験場として独立(飽託郡河内町=現熊本市河内町)
茶業試験地が茶業試験場として独立(熊本市健軍町)
い業試験地廃止
土壌調査を主体とする調査部を設置、低位置生産地事業に着手
昭和24年 花筵指導所を設置(八代郡千丁村=現八代市千丁町)
上益城郡秋津村(現熊本市秋津町)秋津園芸試験地設置(主にバレイショ、すいか、ダイコン等を扱う)
池田町の農事試験場本部の園芸部と平行して試験研究開始(きゅうり、かぼちゃ、なす、トマト等を担当)
農業試験場時代 昭和27年

農事試験場を熊本県農業試験場に改称。本渡市(現天草市)、人吉市、矢部町(現山都町)に試験地を設置

矢部に設置された試験地の画像
​矢部に設置された試験地

農事試験場天草分試験地の画像
​農事試験所天草分試験地

(現在の農産園芸研究所作物研究室矢部試験地)

農事試験場球磨分室の画像
​農事試験場球磨分室
​茶業試験場球磨分室を球磨郡相良村に設置

昭和29年 農業試験場園芸部と秋津園芸試験地、熊本市刈草町に一括して移転。
昭和28年 花筵指導所を廃止し、い業指導所を設置
昭和30年 八代園芸指導所を設置
昭和33年

農業試験場は熊本市上ノ郷町に移転。(熊本市刈草町の園芸試験地も同時に移転)

農事試験場外観の画像
​農業試験場外観

農業試験場から独立した研究組織として、八代農業経営試験場が発足(八代郡鏡町=現八代市鏡町)
同時にい業指導所、八代園芸指導所は廃止。
農業試験場は経営部を含め1係3部(庶務係、耕種部、環境部、経営部)と4試験地(阿蘇、矢部、球磨、天草)体制となる。

昭和37年 農業試験場の組織を1課5部制(庶務課、作物部、園芸部、病虫部、化学部、機械部)に改組。
(これが現在の農産園芸研究所組織の基になる。)
経営部は農機具係を残して八代農業経営試験場に移籍、農機具係は機械部へ改称。
また、4試験地(阿蘇、矢部、球磨、天草試験地)は各分場に改称。
阿蘇分譲の画像
阿蘇分場
昭和39年

八代農業経営試験場が農業試験場に統合。
熊本県農業試験場八代支場に改称し、3部(い業部、い草加工部、園芸部)がおかれた。
(八代農業経営試験場の経営部は廃止)

八代郡鏡町の農業試験場八代支場の画像
​八代郡鏡町の農業試験場八代支場

天草分場が天草農業研究指導所として分離。
国の指定試験である草地土壌試験地が化学部の所属として設置。

昭和41年 蚕業試験場を鹿本郡植木町に移転
昭和42年 畑作部を新設、同時に畜産試験場の甘藷隔離試験地を包括。
昭和44年 球磨分場が球磨農業研究指導所として分離
昭和45年 農業試験場の園芸部と畑作部を統合し菊池郡西合志町(現合志市)に移設、園芸支場として発足。
3部(そ菜部、花き花木部、畑作部)とする。(現在の野菜研究室と花き研究室)
菊池郡西合志町にあった農業試験場園芸支場の画像
菊池郡西合志町にあった農業試験場園芸支場

化学部の草地土壌試験地が畜産試験場に移管

昭和48年 化学部を分割して化学第一部(土壌肥料部門)と化学第二部(農業公害部門)を設置
化学第二部は主として土壌汚染及び農薬残留に関する業務を担当。
(現在の土壌肥料部及び環境保全部)
庶務課を総務課に改称
作物部内に技術連絡部門を設置、試験場組織の拡大と行政との密接な連携に対応。
昭和53年 機械部の中に経営部門をおき、部名を経営部に変更
昭和54年 経営部内に農業土木部門が設置され、試験研究開始
統合 平成元年 農業試験場園芸支場、蚕業試験場、八代支場園芸部、矢部分場とともに農業研究センター農産園芸研究所に統合。
八代支場園芸部は農産園芸研究所野菜部八代研究室に改組
矢部分場は作物部矢部試験地となる。
茶業試験場が農業研究センターに統合、茶業研究所に改称し上益城郡御船町(現在地)に移転。

出典:
農業研究センター10年のあゆみ(H10.5.27県農研センター発行)
熊本県農業試験場50年史(S38.7.20.県農業試験場発行)
熊本県農業試験場要覧(S54.4発行)
熊本県野菜園芸のあゆみ(S56.6野菜振興協会発行))

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