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十蓮寺跡の礎石(とおれんじあとのそせき) 菊池市

更新日:2009年12月25日

十連寺跡の礎石

所在地

    菊池市七城町水次

利用案内

    駐車場・トイレ   なし

解説

■いぼだらさん

    菊池市七城町の水次地区東部にある畑の土手には、地域住民から「いぼだらさん」とよばれる石があります。高さ60cm、長径125cmの花崗岩(かこうがん)の中央に直径39cm、深さ10cmほどの穴があり、この穴にたまった水をいぼにつけると、いぼを消すことができるということで、県内各地からこの御利益にあやかりたいとたくさんの人びとが訪れるそうです。この「いぼだらさん」、実は古代の菊池郡の郡寺と考えられている十蓮寺の礎石です。

■菊池郡家

    古代律令制では、肥後国には当初12郡(玉名・山鹿・菊池・合志・飽田・託麻・益城・宇土・八代・天草・葦北・球磨郡)が置かれていましたが、貞観元年(859年)に合志郡から山本郡が独立し、13郡となりました。

    郡の政庁が郡家(ぐうけ、郡衙=“ぐんが”とも)で、現在の菊池市西寺に菊池郡の郡家があったとされています。ここには東西約425m、南北約160mの土塁跡があり、平安初期のものと思われる大量の布目瓦(ぬのめがわら)が発見されています(注)。もともと菊池郡家は鞠智(きくち)城にありましたが、平安時代初期になって西寺に移されたと考えられています。

■古代郡寺“十蓮寺”  

    十蓮寺は、迫間(はざま)川左岸、西寺の西北約1.5kmの場所にありました。18世紀後半に編纂された「肥後国誌」には、「近傍ノ畑ヲ掘レハ布目瓦ノ欠多ク出ル」とありますが、昭和40年(1965年)の発掘調査でも、文様が入った軒平瓦・軒丸瓦が発見されています。

    古代の寺院は、丸瓦と平瓦を交互に葺き、文様が入った軒丸瓦・軒平瓦を、それぞれ丸瓦・平瓦の軒先部分につけて装飾としていました。『菊池市史 上巻』によると、この軒平瓦は、古代の迎賓館である鴻臚館(こうろかん、福岡市)出土の瓦と同じ形式をもち、奈良時代中期の様式の瓦であるといいます。

    十蓮寺は菊池郡家に付属する郡寺として建立され、ほかの古代肥後国の郡寺と同様、東に三重塔、西に金堂、北に講堂をもつ、法起寺式の壮大な寺院であったと考えられます。「いぼだらさん」は、この十蓮寺の塔心礎石で、中央部の穴に柱が立てられていました。礎石は畑作が進むにつれて、もとの場所から移され、現在の位置に埋められたといいます。残念ながら、ほかの礎石は発見されていません。

    (注) 古代では、瓦を作る際に瓦の型と粘土の間に布を敷き、瓦をはぎやすくしており、その痕跡によって時代がわかります。

参考文献

    菊池市史編さん委員会 編 『菊池市史 上巻』 菊池市 1982年
    七城町誌編纂委員会 編 『七城町誌』 七城町 1991年

周辺情報

    十蓮寺跡の近くには、菊池十八外城の1つに数えられる神尾城跡があります。道の駅「七城メロンドーム」には、メロンをはじめとして七城町の特産物が並びます。

地図

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