御船手渡し跡(おふなてわたしあと) 熊本市
更新日:2011年12月26日


所在地
熊本市川尻3丁目
利用案内
駐車場・トイレ なし
解説
加勢川の左岸は、富合町杉島地区で、江戸時代は陸の孤島でした。ここは杉島御船手とよばれ、江戸時代には藩船の乗組員や水夫たちが多く住んでおり、船頭町が存在していました。
この杉島と川尻とのあいだは、上流から中之島渡し(大慈寺渡し)、杉島渡し、御船手渡しの3つの船渡しで結ばれていました。参勤交代のときには、藩主の御座船である波奈之丸(なみなしまる)や、泰宝丸なども入港する熊本藩の海軍基地として全国に名を馳せていました(豊後鶴崎と肥後川尻は熊本藩御船手の所在地としても名高い)。
また、近くに米蔵(御蔵)があったため、蔵物の監視の役目も果たしていました。御船手には早船を含めて150艘近くの船があり、江湖(川の入り江)にはたくさんの軍船もみられました。藩船の乗組員たちが外城町への買い物に利用していたのがこの御船手渡しでしたが、明治以降しだいに衰退していきました。
昭和になり、ほかの渡しが廃止されていくなか、外城は買い物で行き交う人びとで賑わっていましたが、この御船手渡しも昭和36年(1961年)に廃止されました。
当時の石畳は現在もその姿をとどめており、石畳から対岸を望むことができます。
参考文献
川尻町役場 編 『肥後川尻町史』 青潮社 1980年
新熊本市史編纂員会 編 『新熊本市史 通史編 第4巻』 熊本市 2003年






