甲佐神社(こうさじんじゃ) 甲佐町
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甲佐神社 | 甲佐神社境内 |
所在地
上益城郡甲佐町上揚
利用案内
駐車場・トイレ あり
解説
甲佐神社の神様は?
甲佐神社は阿蘇神社の二の宮とよばれ、健軍神社、郡浦(こうのうら)神社とともに阿蘇四社とされています。人びとからは肥後南方の守護神として信仰されてきました。
阿蘇神社の主神である健磐龍命(たけいわたつのみこと)が朝鮮半島に渡り、帰ってくるときに対馬の女性を連れ帰りました。この2人のあいだに生まれた子が八井耳玉命(やいみみたまのみこと)=甲佐明神で、7歳のときに甲佐へ封じられたとされています。
こうして、甲佐地方は甲佐明神によって治められるようになり、現在も甲佐神社には、この甲佐明神と仁寿元年(851年)にまつられた健磐龍命ら阿蘇の神々がまつられています。
竹崎季長の「蒙古襲来絵詞」があった!!
鎌倉時代に元軍(モンゴル)が日本を攻めてきました(元寇、蒙古襲来)。そのとき、勇敢に立ち向かった肥後の御家人が竹崎季長(たけざき すえなが)です。
下益城郡豊福荘竹崎の生まれの季長は、見たこともない元軍の「てつはう(火薬で爆発する武器)」や毒矢を恐れず、命をかけて戦い、負傷するほど勇戦しましたが、彼に対して、幕府は恩賞を与えませんでした。不満に思った季長は鎌倉まで行って幕府に直訴し、その結果、戦功が認められて、甲佐神社の社領だった海東郡(宇城市小川町東部)の地頭職を獲得することができました。
後日、彼が戦っている様子を「蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)」として描かせ、甲佐神社に奉納しました。「蒙古襲来絵詞」は、当時の武士たちの姿や戦い方を知る上でとても貴重な資料であり、明治時代に皇室に献上されるまで甲佐神社に所蔵されていました。
生命力溢れるイチョウの木
甲佐神社の境内には、樹齢500年を軽く上回るイチョウの大木がありました。しかし、あまりに大きすぎたためか、残念なことに30数年前の台風によって地面から1mくらいの高さで折れてしまいました。ところが、その折れたあとから新しい芽が出てすくすくと伸び、現在では3本の“子ども”が幹の直径50cmほどにまで成長しています。
参考文献
甲佐町文化財保護委員会 編 『甲佐町の文化財 第2集』 甲佐町教育委員会 1993年
甲佐町教育委員会 編・発行 『甲佐のむかしばなし』 1996年
周辺情報
近くの見どころ:鵜の瀬堰、陣の内館跡、甲佐町やな場








