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地域発 ふるさとの自然と文化

木葉猿(このはざる) 玉東町

更新日:2009年12月2日

木葉猿01

所在地

玉名郡玉東町木葉

解説

作り手のぬくもりが伝わる郷土玩具

木葉猿02

■木葉猿の歴史 

 木葉の地に古くから伝わる素焼きの猿の玩具です。その始まりについてはっきりしたことはわかっていませんが、次のような伝説が伝えられています。「今から1300年くらい前、4人の落人(おちうど)が京の都から木葉に移り住んでいました。ある正月、この4人は、夢枕に立った老人のお告げにより、奈良の春日大明神を祭りました。そして木葉山の赤土で祭器(お祭りの時に使う器)をつくりました。その余った土を捨てたところ、猿の形となり、どこかへとび去りました。4人が不思議なことがあるものだと思っていると、身長が3m、鼻が高く赤い顔の巨人が現れ『木葉の土で猿をつくれば幸せになれるだろう』と言ってどこかへ姿を消してしまいました。4人は、これは神のお告げと思い、その後は赤土で祭器といっしょに猿も作り神に供えたところ、災害の時もこの4人の家は無事平安に過ごすことができました。その後、この猿は、悪病・災難からのがれ、子孫繁栄の守り神として広く愛玩されるようになりました。」

 戦国時代には木葉猿の名前は全国に知れ渡っていたようで、当時の有名な茶人千利休が所有していた茶入れの中に猿のようにも見える物があり、「木葉猿茶入れ」と呼ばれていました。
 明治の初期は10軒ほどの窯元が木葉猿を作っていたそうです。当時は「木葉焼」と言って瓦や七輪などを焼いていた窯元が副業として木葉猿を焼いていましたが、生活の変化等で木葉焼自体が次第に消滅していきました。

 そのような中、大正時代に作られた「新版全国土俗玩具大番付」では、木葉猿は見事東の横綱に輝いています。
 そして、昭和に入ると木葉猿を焼く窯元はついに永田さんの「郷土玩具木葉猿窯元」1軒となってしまいました。(昭和62年に新たに「もっこす猿」が開業)

 今は手びねりで作られる木葉猿も古くは型にはめて形を作っていたらしく、今も木葉小学校北側の宇都宮神社(春日神社)には、当時の木葉猿の型が保管されています。

■木葉猿の種類

 木葉猿で最も有名なものは、「見猿、言わ猿、聞か猿」の「三匹猿」です。これは、「悪いことは見るな、言うな、聞くな」という戒めを表したものです。この他にも、子孫繁栄を願った「原始猿」、一生食べ物に困らないようにという願いを込めた「飯食い猿」など、10種類以上の木葉猿が焼かれています。どれも手びねりという技法で成形され、素焼きされており、どこかユーモラスで素朴な造形物となっており、見る人の目を楽しませてくれます。そして、伝統を守りながらも新たな木葉猿を生み出すために、永田さんは日々励んでおられます。

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