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地域発 ふるさとの自然と文化

二俣橋(ふたまたきょう) 美里町

更新日:2010年2月10日
二俣橋

所在地

   下益城郡美里町小筵

利用案内

   駐車場・トイレ   あり

解説

「二俣橋」とは?

   二俣橋とは、緑川の支流の釈迦院川(しゃかいんがわ)と津留川(つるがわ)の合流地点でそれぞれの川に架かっている二つの眼鏡橋のことです。江戸時代、旧砥用町方面からの道路はこの合流地点で二つに分かれていました。甲佐、熊本へつながる道は津留川に架かった橋を渡り、堅志田、松橋方面へつながる道は釈迦院川に架かった橋を渡ります。

   これら二つの橋はそれぞれ独立した橋ですが、釈迦院川に架かった右岸側と津留川に架かった左岸側が接近しているため、直角に折れ曲がった一つの橋のように見えます。また、二つの橋がそのサイズや石組みなどでほぼ同じように造られていることも一つの橋に見える原因かもしれません。

   この二つの橋をまとめて「二俣橋」といっていますが、江戸時代には、釈迦院川に架かる「二俣渡」、津留川に架かる「二俣福良渡」(ふたまたふくらわたし)、とそれぞれ名前があり、大きさがほぼ同じで、まさしく双子のような橋です。

いつ、だれが作ったのか?

   「二俣橋」がある地域は、江戸時代は中山手永とよばれ、中山手永惣庄屋・小山喜十郎が指揮をして架けられたものです。二俣渡が文政12年(1829年)、二俣福良渡が文政13年(1830年)につくられましたが、架橋にたずさわった石工についてははっきりとはしていません。

   ただし、橋の車止めとして立っていた「車通すべからず」と刻まれた石柱には、備前児嶋郡の石工である茂吉と勘五郎の名前が残されており、この二人が架けた可能性があります。ちなみに、眼鏡橋が架けられる前には、文政2年(1819年)に木橋があったという記録も残されています。

「二俣橋」の現在

   「二俣橋」は重要文化財として美里町の指定を受けており、見学者がたびたび訪れています。見学者は同時に国道218号線の釈迦院川に架かる二つの年祢橋も見ることができ、そのすばらしい眺めを楽しんでいます。また、橋の下を流れる釈迦院川・津留川は、清流であり、川の合流地点に白砂の川岸ができるため、国土交通省の「子どもの水辺」に選定されています。

 二俣橋は架橋以来、人々や物の往来の分岐点として、人びとの暮らしを静かに眺め続けてきました。そして、今後は主にそれらの歴史を伝える史跡として、これからも人びとの暮らしを静かに眺め続けるでしょう。

周辺情報

   近くでは日本一の石段(3333段の石段)や西山つつじ公園、堅志田城跡、金刀比羅さんなどが見学できます。 

地図

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