熊本県

古刹・古寺

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霊場は、辞典によると神社、仏閣などの神聖な地となっています。古刹は古い寺、由緒ある寺となっています。その意味では熊本に数多く約4,500の神社寺院が存在していますが、ここでは“観光”とかかわりのあるものをとりあげてみました。

項目:西巌殿寺 古坊中 釈迦院 木原不動尊 青蓮寺 悟真寺 願成寺 春光寺 本妙寺 城泉寺 日輪寺 満願寺 大慈禅寺 蓮華院誕生寺奥之院 石水寺 三宝寺 塔福寺 雲巌禅寺 成道寺 源光寺 東向寺 鎮道寺 谷水薬師

西巌殿寺(さいがんでんじ)

阿蘇市

起源は神亀3年(726年)といわれる古いお寺。当時山上に本堂、古坊中に88の堂坊が並ぶ霊場がありましたが、天正年間戦火で消失。慶長5年(1600)から麓坊中の地に加藤清正によって復興されたものです。現在の本堂は明治4年に山上の旧堂を移したもので、桃山式建築様式。朱のはげ落ちた柱や木目があらわになった欄干の彫刻が昔日の栄光を偲ばせています。寺宝として後奈良天皇の御宸筆をはじめ国・県指定の重要文化財が残っています。

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古坊中(ふるぼうちゅう)

阿蘇中岳、山上広場と草千里の中間地帯に“古跡坊中聖霊供養塔”が建っている一帯が古坊中といわれたところです。最盛期には本殿を中心にして扇型に37坊51庵(36坊52庵という説も)の堂坊が軒をつらね、修行僧の読経の声がこだましていましたが、天正年間の戦乱にまきこまれ、850年余り続いた古坊中は消滅したと伝えられています。

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釈迦院(しゃかいん)

八代市泉町

標高980メートルの釈迦院岳の頂上にある寺で、延歴18年(799)の開基と伝えられています。中世には49坊を持つ大寺として栄えていましたが、戦国期に衰微し、のち加藤家、細川家の再建、修復で現在に至っています。釈迦院は信仰すると長わずらいしないということでも有名で、別名「ぽっくり寺」とも呼ばれています。美里町からは、3,333段の日本一の石段も完成しています。

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木原不動尊(きわらふどうそん)

熊本市

日本三大不動として成田・目黒と並ぶ木原不動は、雁回山(木原山314メートル)の北麓にある長寿寺の本尊で延歴年間(780~806)、宗祖伝教大師・最澄の開山といわれています。毎年2月28日の春季大祭は「火渡り」「湯立て」の荒行で知られています。

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青蓮寺(しょうれんじ)

多良木町

鎌倉時代後期の永伝3年(1295年)に建てられたもので、どっしりとした重量感のある本堂は県下最大のものです。また、御堂の裏山にある五輪塔群は上相良家歴代の墓で、苔むした石塔が時の流れを静かに物語っているかのようです。国指定重要文化財。

青蓮寺の写真

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悟真寺(ごしんじ)

八代市

わずか十歳で征西将軍として九州に下り、九州南朝を実現するために三十余年の戦いに明け暮れ、ついに悲運のうちに没した懐良(かねなが)親王の菩提寺です。霊殿には親王の肖像、親王自筆の後醍醐天皇およびご生母の霊牌が安置されています。

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願成寺(かんじょうじ)

相良家の菩提寺で天福元年(1233年)、初代長頼が創建した真言宗の寺院。本尊の木造阿弥陀如来坐像(国重要文化財)をはじめ、数多くの仏典、仏書、古文書を所蔵していることでも知られています。また、本堂に続く裏山の相良家墓地(県史跡)には、歴代藩主ならびに一族の苔むした墓石が整然と立ち並び、時の流れを感じさせます。なお、境内の清水観音堂は、相良三十三観音の第一番札所ともなっています。

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春光寺(しゅんこうじ)

八代市

八代城主松井家の菩提寺(臨済宗)で、3代直之によって創建されたもの。当初は小倉にあったものを、数度の移築を経て現在地に落ち着いたとされています。約33,000平方メートルの境内には松井家城主の墓が整然と並ぶ廟があり、そのほか殉死した家臣の墓や高浜虚子をはじめとする多くの句碑があり、「句碑の寺」とも呼ばれています。

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本妙寺(ほんみょうじ)

熊本市

加藤清正の廟所として知られる日蓮宗の寺で、六条門流の九州総本山。もとは、清正が父の冥福を願い大坂に建てられたものですが、清正の肥後入国に伴い熊本城内に移されました。その後の焼失により、清正の廟所に移したのが現在の本妙寺となっています。
本妙寺は細川時代も前代同様の崇敬を受け、清正公信仰の普及によってますます祈願寺として発展し、命日の7月23日は頓写会に多くの人が訪れます。明治になって一時神祭に転じました。しかし、明治4年、神社を城内に設立、移転してそれが現在の加藤神社の起源となっています。

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城泉寺(じょうせんじ)

湯前町

県内最古の木造建築とされる城泉寺の阿弥陀堂は、鎌倉仏教文化の宝庫球磨・人吉を代表する古寺。本尊の阿弥陀如来像(寛喜元年(1229年)の墨書銘がある)をはじめ、御堂の前庭には、七重の塔、九重の塔、最近復元された十三重の塔が建ち、閑静な趣きの中にずっしりとした歴史の重さを感じさせます。国指定重要文化財。

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日輪寺(にちりんじ)

山鹿市

「忠臣蔵」で知られた赤穂浪士は、幕府の命により、細川綱利(5代)邸をはじめ、毛利邸、松下邸、水野邸の4ヵ所に分けて預けられました。細川家に預けられたのは大石内蔵助以下17名で、行き届いた待遇がなされたといいます。
日輪寺には、この17人の遺髪を祀る遺髪塔があり、切腹した2月4日には、義士たちをしのぶ義士祭りも行われています。

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満願

北条氏は九州中部の支配強化のため、執権時頼(ときより)の弟時定(ときさだ)を下向させましたが、間もなく蒙古の襲来がおこり、敵国降伏の祈願のため勅願寺として満願寺を建立(1274年)したといわれています。その当時の堂宇は壮大で、阿蘇氏、大友氏などの保護をうけていたとされていますが、天正16年(1588年)、国衆一揆の余波をうけて寺領を失い、以後は衰退をたどり、わずかに寺家のうち多聞院のみが残るだけになってしまったのです。

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大慈禅寺

熊本市

大慈禅寺は、曹洞宗寒巌派の本山で、弘安元年(1278)に建てられました。開祖は寒巌義尹(かんがんぎいん)。寒巌は順徳天皇の第3皇子で、寺の付近の景色が寒巌のかつて学んだ中国明州の大慈山の風光に似通っていることから、大慈禅寺と名づけました。河尻荘の地頭河尻泰明は、寒巌の庇護者になり多くの土地を寄進。亀山法皇も寒巌に紫衣を送り、寺を勅願道場とされました。当時は、越前の永平寺と並び称されるほどの寺格がありました。鎌倉期の様式を伝える山門は、ひときわ高く威容を誇っています。山門の上にある梵鐘は熊本で最も古いもので、国指定重要文化財。貴重な歴史資料として寒巌義尹文書があり、県指定の2基の層塔や宝篋(ほうきょう)印塔などの寺宝も目をひきます。

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蓮華院誕生寺奥之院(れんげいんたんじょうじおくのいん)

玉名市

世界一の大梵鐘、飛龍の鐘(直径288センチメートル・高さ455センチメートル・重さ37.5トン)で有名な蓮華院(奥之院)は、小岱山の中腹にある広大な寺で、高さ47メートルの五重の塔や九州一の仁王像などスケールの大きいものばかり。11月には大祭が行われ、九州各地から大勢の観光客が訪れます。

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石水寺(せきすいじ)

人吉市

応永24年(1417)に創建された曹洞宗の禅寺で、永国寺開山した実底超真(じっていちょうしん)の隠居寺としてつくられました。石水寺は楕円形山門と樹齢300年をこえる海棠(かいどう)で知られ、毎年4月初めに行われる海棠祭りは多くの花見客で賑います。また、境内の小堂では「十六羅漢図」や「地獄絵図」も公開されています。

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三宝寺(さんぽうじ)

宇城市

黄檗派の開祖・隠元の法弟・木庵について修業した鉄眼が帰郷の後に建立した寺で、寺内には鉄眼の遺品や画像、版木などが展示してあります。鉄眼は一切経の出版を決意し、13年もの出版資金調達の行脚を経て、ついに天和元年(1681)、全七千巻にも及ぶ一切経(大蔵経)を完成させました。

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塔福寺(とうふくじ)

宇城市

鎌倉時代の元寇(げんこう)襲来による文永、弘安の役(1272・1281)の活躍で海東郷地頭職に任じられた竹崎季長が自らの菩提寺として建立した寺です。現在でも、当時の古文書が残っており国の重文になっています。

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雲巌禅寺(うんがんぜんじ)

熊本市

寺の本尊は雲巌洞内に安置された石体四面の観音で、通称「岩戸観音」と呼ばれています。雲巌洞は平安朝の歌人、檜垣(ひがき)が日参していたと伝えられているほか、剣聖宮本武蔵が「五論書」を著した場所としてもよく知られています。また、寺と雲巌洞の間の岩山には、釈迦三尊と十六羅漢石像や、渕田屋儀平が24年の歳月をかけて奉納したといわれる五百羅漢があります。

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成道寺(じょうどうじ)

熊本市

応永33年(1426)、菊池の名刹・正観寺の8代目住職・寰中(かんちゅう)の隠栖の地として開かれた禅寺で、一時、菊池氏の衰退と共に衰えましたが、後に細川家重臣の沢村家の菩提寺となり栄えました。

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源光寺(げんこうじ)

水俣市

加藤清正の家臣で水俣城最後の城主となった中村将監(しょうけん)が仏門に帰依して開いた寺で、正保2年(1645)に本願寺から源光寺の寺号を授かったものです。源光寺に今も残る「薩摩部屋」と呼ばれる本堂房下部分の隠れ部屋は藩政時代、真宗の信仰を禁じられた薩摩の領民が秘かに通い説教を聴いていた部屋です。

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東向寺(とうこうじ)

天草市

嘉永年間に再建されたという大きな本堂が人目を引きます。境内に、瀬戸焼は陶工民吉が東向寺の和尚をたずね、この地で技術を学んだことにより隆盛になったことを伝える「陶工民吉の碑」があります。

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鎮道寺(ちんどうじ)

苓北町

文禄元年(1592)、良規(りょうき)上人が現在の天草市本渡町に開いた寺で、慶長17年(1612)に東本願寺から本尊を附され、寺号を許されました。領主が寺沢広高のとき、島内の真宗全体を統率する総録所となり、元和2年(1616)に富岡城下に移されました。天草島原の乱(1637~38)終息以降は、人心の教化に努め、檀家は十余村にも及ぶことになりました。また、幕末の安政4年(1857)には、当時長崎海軍伝習所で訓練中の勝麟太郎(勝海舟)が伝習船観光丸で来航、宿泊し、その時の落書きが今も本堂の柱に残っています。

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谷水薬師(たにみずやくし)

あさぎり町

聖武天皇の時代に、行基が諸国行脚をして、薬師如来のお告げに従ってここに御堂を建てたといわれ、日本七薬師のひとつ。仁王門の両側には、満身紙つぶての仁王像が建っています。紙をかんで紙つぶてをつくり、願いをこめて投げて、自分が病んでいるところにくっつけば、病が治るといわれています。

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