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南蛮文化とキリシタン

最終更新日:
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16世紀半ばに、ポルトガル人が種子島に漂着して鉄砲を伝えて以降、南蛮文化はインドを経て日本にも流入し、その影響は天草にも及びました。そのことは当時の海図に天草が描かれていたことからも分かります。

項目:ルイス・アルメイダ 小西行長 天草コレジョ 南蛮寺跡 平成天草少年遣欧使節団 天草四郎時貞 天草の乱 天草四郎公園 天草四郎メモリアルパーク 湯島 殉教公園 天草キリシタン館 富岡城跡 明徳寺 天草四ヶ本寺 大江天主堂 天草ロザリオ館 サンタマリア館 崎津天主堂 天草コレジヨ館 教会の見えるチャペルの鐘展望公園

ルイス・アルメイダ

大永5年~天正11年(1525~1583)
ポルトガルの首都リスボンで生まれ、天文21年(1552)商人として長崎の平戸に来日。その後、キリスト教の精神に基づいて、豊後(大分県)の府内に乳児院や病院を建てました。九州各地で医療に従事するとともに、キリスト教の普及に携わりました。
永禄9年(1569)、天草の豪族・志岐麟泉(しきりんせん)の招きで志岐(苓北町)を訪れ、天草に初めて南蛮文化を伝えました。天草市の殉教公園には彼の像が建てられています。最後は河内浦で没しました。
玉名市の銘菓「松の雪」は、アルメイダが製法を伝えたとされる、カステラ風のお菓子です。素朴ながら上品な味わいで、子どもからお年寄りまで愛されています。

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小西行長(こにしゆきなが)

堺(大阪)の商家に生まれ、12才のころ、豊臣秀吉に召しかかえられ武士となり、1588年(天正16年)には加藤清正とともに肥後国へ入り、宇土24万石(宇土・益城・八代・天草の4郡)の領主となりました。熱心なキリシタンでしたので、当時、宇土周辺もキリシタンが増えたと言われています。
秀吉が朝鮮進出を目指した文禄・慶長の役では、加藤清正等と共に自軍を率いて出兵し、文禄の役では先陣として戦果をあげ、また秀吉の突然の死により退却を余儀なくされた慶長の役では、和平交渉の大役を担い“智将”としての才覚が認められました。
秀吉の死後、“関ヶ原の戦い”で石田三成方(西軍)の主力として参戦し、敗れました。

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天草コレジョ

天正19年(1591年)から慶長2年(1597年)の間、天草にあった宣教師養成のためのイエズス会の大神学校です。当時、天草コレジョではヨーロッパ最高水準の学問も教授され、付設の印刷所では「平家物語」や「伊曽保(イソップ)物語」など、天草本と呼ばれる書籍が印刷されたことが知られています。また、天正遣欧使節の伊藤マンショら4人が帰国後に入校しています。

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南蛮寺(なんばんじ)跡 (正覚寺)

天草市有明町

正覚寺は、天草・島原の乱後、天草の初代代官である鈴木重成により建立された寺院で、それ以前は南蛮寺(教会)があったと伝えられます。現在、本堂は新しいものに建て替えられていますが、改築の際に床下から発見されたキリシタン墓が今も残っています。
境内の亜熱帯植物「ナギ」の大樹は南蛮樹といわれバテレンが約400年前に植えたものと言われています。

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平成天草少年遣欧使節団

天草と南ヨーロッパの国際交流を図るため平成5年7月、日本ポルトガル友好450周年・天草学林400年記念事業として、天草2市13町から1人ずつを選び「平成天草少年遣欧使節団」を結成。ポルトガルやスペインなど天正の遣欧使節団4人の足跡をたどりながら各地で交流を深めるとともに、ローマ法王にも謁見しました。

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天草四郎時貞(ときさだ)

父は小西行長の遺臣で益田甚兵衛好次。カリスマ性と優れた教養があり、天草・島原地方の農民たちにその名が広まりました。寛永14年(1637)天草・島原の乱が起こるとわずか16歳ながら総大将に推され、天草各地を転戦。島原の原城で90日間の攻防の末、ついに幕府軍に捕らえられ、討ち取られました。

天草四郎の像

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天草の乱

天草・島原の乱ともいわれ、寛永14年(1637年)10月から天草・島原の農民3万7千人が10万余りの幕府軍に対抗し123日間争った一揆。原因はキリシタン弾圧と過酷なまでの年貢のとりたて。島原の農民と天草の農民が共に蜂起し、戦いは大矢野島から本渡、富岡、さらには島原へと拡大したが、遂に島原半島・南有馬の原城で一揆軍は総討死となり寛永15年2月に終わった。

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天草四郎公園

上天草市大矢野町

上天草市大矢野町のほぼ中央、国道266号沿いにある公園で、四季折々の花、高く伸びたパームツリーがエキゾチックな雰囲気を醸し出しています。丘上にある四郎像は幼さの残る美少年で今も青い海をまっすぐに見つめる姿が胸を打ちます。

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天草四郎メモリアルパーク

天草・島原の乱をテーマにしたパビリオン施設。南蛮文化伝来や南蛮文化を紹介するコーナーや、乱のイメージビデオを上映する映像ホール、タイムマシーン室などから構成。天草・島原の乱が視覚的、立体的に再現されています。

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湯島(ゆしま)(談合島)

上天草市大矢野町

大矢野島の西方約6キロメートルの有明海上にある島で、ちょうど鍋を伏せたような形をしています。湯島は、1637年の天草・島原の乱のとき、乱の首謀者たちがこの島で談合(会議)を行ったという舞台で、別名「談合島」とも呼ばれています。周囲約4キロメートルの小さい島ですが、暖帯性のアコウ樹が茂る海岸は独特の南国情緒があり観光客も多く訪れます。

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殉教(じゅんきょう)公園

天草市

市街地の北西部に位置する丘陵で、本戸城跡。かつての二の丸跡(推定)にキリシタンの遺物を展示する「天草キリシタン館」や天草四郎像またそのすぐ下には、天草・島原の乱などの戦死者を合祀した「殉教千人塚」などがあります。一帯は見はらしのよい公園で、青い空と海は、かつての悲劇の舞台となった歴史を忘れさせるほど。毎年10月第4日曜には宗派を越えて祈る“天草殉教祭”が厳かに行われます。

殉教公園の写真

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天草キリシタン館

天草キリシタンの歴史を伝える多くの資料や遺物が展示されています。天草四郎の陣中旗(ふだんはレプリカを展示)は国の重要文化財に指定されています。

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富岡(とみおか)城跡

苓北町

大矢野でノロシを上げた一揆軍は、本渡で唐津勢を敗り、快進撃のうちに富岡城へと向かいました。ところが、周りを海に囲まれた天然の要塞の地にある富岡城は二度にわたる一揆軍の攻撃にも屈せず、天草四郎はついに全軍を引き揚げ戦場は島原へと移るのです。

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明徳寺(みょうとくじ)

天草市

天領天草の初代代官となった鈴木重成(すずきしげなり)が、天草・島原の乱後の復興とキリシタン根絶のために兄で禅門の修業を重ねていた鈴木正三(しょうさん)の助言により開山した寺。山門下には異人地蔵と呼ばれる異形の地蔵があります。正三は明徳寺の他にも、東向寺(旧本渡市)、国照寺(苓北町)を開基し、島内のキリシタン根絶に努めました。

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天草四ヶ本寺(しかほんじ)

幕府は、天草の乱後の人心安定政策として仏教布教に重点をおき、その拠点として天草に四つの寺を創建しました。東向寺(とうこうじ)、崇円寺(そうえんじ)、国照寺(こくしょうじ)、円性寺(えんしょうじ)がそれで、天草四ヶ本寺といわれています。

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大江天主堂(おおえてんしゅどう)

天草市天草町

昭和9年(1934年)、ガルニエ神父が私財を投じて再建したローマ・カトリック派の教会堂です。明治40年北原白秋ら5人の詩人がガルニエ神父を慕って訪れたことは紀行文「五足の靴」で有名です。大江は潜伏キリシタンとして信仰が続けられたところとして知られていますが、色とりどりの花に囲まれたまっ白い教会からは、明るい朗らかな印象だけが伝わってくるようです。

大江天主堂の外観写真

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天草ロザリオ館

天草市天草町

天草の大江天主堂のすぐ下にあるロザリオ館では、キリシタン文化、潜伏キリシタンの歴史を物語る数多くの展示物が並んでいます。

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サンタマリア館

天草市有明町

郷土史家の浜崎栄三さんが開いた天草唯一の民営資料館。潜伏キリシタンのマリア像やロザリオ、水中に十字の文字が浮かぶ聖水鉢など、浜崎さんが40年あまりかけて収穫した潜伏キリシタンの遺品や資料が展示されています。また、別棟の徳利館には江戸時代のとっくり300本や天草泥人形の展示も。

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(さきつ)天主堂

天草市河浦町

海に面した重厚なゴシック様式の教会で、その美しい姿はキリシタン殉教の島天草の代表格。現在の教会は昭和10年の建築ですが、崎津のキリスト教の歴史は古く、永禄12年(1569年)に天草氏の招きで来航したアルメイダ(イエズス会宣教師)に始まります。

崎津天主堂と町並みの写真

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天草コレジヨ館

天草市河浦町

戦国時代から天草氏の居城地として栄え、南蛮文化が花ひらいたという天草市河浦町。天草コレジヨ館には、16世紀末に河浦にもたらされたグーテンベルク印刷機(複製)や天草本、南蛮船模型など、当時世界の最先端にあった南蛮文化の遺品が展示されています。また、視聴覚室では、天正少年遣欧使節の足跡と河浦町との深いかかわりを映像「海からの声」で見ることができます。

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教会の見えるチャペルの鐘展望公園

河浦町の金毘羅山頂に造られた公園。緑の木々の中に、鐘のついた高さ15.3メートル、幅3メートルの巨大な十字架がそびえたっています。頂上からは崎津教会や半角湾、東シナ海が一望できます。塔の周辺は野外音楽場で、ミニコンサートも開催されています。

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